山童
11/11/03
小学4年か、5年の夏休みだったと思う。

両親の仲がうまくいかなくなり、色々あって半月あまり、父親の実家に預けられた。 祖父も祖母も優しくしてくれたので寂しくはなかった。

特に祖父は、釣りの好きなオレを気に入ってくれていた。 (どうもオレの父親は釣りが好きじゃなかったらしい)

今日は朝方〇×の港、明日は夕方△□の磯、そんな感じで色々な釣り場で釣りの秘訣を教えてくれた。

「アキ(←オレ)はなかなか筋が良いわ、タケ(←父)は全然駄目だったがな...。」

そう言って笑う祖父の顔を見ると、オレも嬉しくなる。 自分でも色々工夫するし、自然に釣りが上手くなった。

そんなある日、祖父と一緒に夜釣りに出かけた。 何度か連れて行ってもらった場所だから勝手は知ってる。

さっさと支度して仕掛けを投げこみ、クーラーボックスに2人並んで座り、祖母が作ってくれたおにぎりを食べていた。 満月から少し欠けた月が明るくて、風が涼しい。

「明る過ぎる、今夜は難しいかなぁ。」

と祖父は言ったがひっきりなしにアタリがあって、大きなアナゴ、チヌ、 それから、外道ででかいノコギリガザミ。

2個目のおにぎりを食えないほど、忙しい釣りになった。 しかし、9時を過ぎた頃、急にアタリが止まった。 それに何となく変なニオイがして、気分が悪い。

「じいじ、何か変なニオイがしない?」

と聞くと、祖父は

「アキ、これから俺が良いと言うまで絶対しゃべるなよ。それと、誰に何て言われても絶対振り向くなよ。」

という。そして、小さい声で念を押す。

「良いか、絶対だぞ。」

俺が小さくうなずくと、背後から足音が聞こえてきた。 それはどうやら草むらをかき分けて近づいてくる。 足音が近づいてくるにつれ、嫌なニオイが強くなった。

「よう、良く釣れてるな。」

しゃがれた声が響いた。 風邪をひいた子供のような、変な声。

「わしと組んだらもっともっと釣れるぞ、どうだ?」

祖父は声が聞こえていないように、黙って海を見ている。 とても怖かったが、オレも黙って海を見ていた。

「あれ、こいつは何だ?」

声がオレの背後から聞こえた。 ブタが鼻を鳴らすような音がして、気配がさらに近づく。 ニオイがすごくて吐きそうだが、両手を握り何とか耐える。

「まだ小さいが、良い手じゃのぉ。なぁ、わしと組まんか?」

声はもう、オレの右耳のすぐ後から聞こえてくる。 今にも肩に手をかけられるような気がして体が硬くなる。

怖くて怖くて泣きそうだったが、必死で黙っていたら、祖父が釣り具箱の中からタバコを取り出し、火を点けた。 そして大げさに、ふーっ、ふーっと煙を吐くとその声が

「ん~...げごご...ごっ!」

と言ったきり、背後の気配が急にパタリと消えてしまった。 祖父が

「アキ、もう良いぞ。」

と言うので 恐る恐る振り向いたが、何もいない。ニオイも全然しない。

「あれはな、やまあら(やまわら?)だ。」

「あれの姿を見ると魅入られる。あれと一緒に行くと魚はたくさん釣れるそうだが、一度魅入られると逃げられない。毎晩毎晩、それこそ死ぬまで釣りに連れ出されるそうだ。」

「妖怪とか精霊みたいなもの?」

と聞くと、

「まぁ、そんなもんだ。魔除けに持ってて良かったが、タバコなんぞ吸ったから気分が悪い。もう帰ろう。」

と言う。 海岸線に停めた軽トラに向かって細い道を歩いていると祖父は

「前にあの声を聞いたのはいつだったかな...」

「タケが中学生...もう30年も前になるか。」

とつぶやいた。そして

「まだあんなものがこの世にいるとは思わなかった。アキは運が良かっ...いや、あれ、怖かったか?」

と言う。

「うん、怖かった。とっても怖かった。」

とオレが答えると、祖父は

「じゃ、もう釣りは嫌か?」

と心配そうに聞く。 今思うと不思議だが、怖くて釣りを止めようとは思わなかったから、

「嫌じゃないよ。あんなの滅多に出ないでしょ?」

と答えると、祖父は

「そうか、アキは強いな。」

と笑ってオレの頭をなでた。

「でもな、釣りにしろ何にしろ、海は怖い所だ。それを忘れると、海で命を落とすことになるんだぞ。」

そう言った時、月に照らされていた祖父の真面目な横顔。 今でも1人で夜釣りをしていると時々思い出すよ。

祖父が肝臓癌で亡くなったのは、もう8年も前のことだが。