廃墟
14/04/20
昭和50年代後半、俺が小学2年になったばかりの頃、うちの親父が友人の借金の保証人になって、友人が飛んだから、我が家は家も土地も全て奪われ、一家全員宿無しになってしまった。

父は高速道路建設で7月から8月の2ヶ月間、出稼ぎのような状態。母と姉(当時小6)と俺(当時小2)の3人は、7月から8月いっぱい、親戚から紹介された町営の海の家の住み込み従業員生活。

海の家といっても浜は小さく、建物も昔は漁師小屋(番屋)だったところ。朝は8時に開けて、夕方5時に閉店。更衣室と水道水シャワーと簡単な飲食提供。

そうじをしたら、店の残り物の焼きそばやおでんで食事。雨の日以外は夏の間は無休。姉と俺は、元の小学校から遠く離れて友達も誰もいない土地で、海水浴客相手の接客を頑張ってた。

この海の家で、俺と姉は不思議なものをよく見た。

夜、誰もいなくなった浜でよく火の玉を見た。母親は「イカ釣り漁船の照明だ」と言っていたが、絶対に違う。

沖の方に火の玉がヒョコヒョコ流れて、上空に向かってスゥーと飛び上がってやがて消えていく。花火かもしれないが、わざわざ船で沖に出て、花火をやるようなオシャレなところではない。

最初と二回目、三回目あたりは不気味な感じもしたが、五回目あたりからは姉も俺も「またか」と見物するようになっていた。

約2ヶ月で10回以上は見たので、そのうち飽きて、わざわざ見物もしなくなった。

雨の日は海の家は休みなのだが、母が町役場に出かけ、俺と姉はお留守番した日のことだ。けっこうな暴風雨で昼間なのに真っ暗だったのを覚えている。

俺と姉は、映りが悪い14型のカラーテレビを見ていたのだが、突然、停電してしまった。

古い小屋だったから風雨の音ばかりが響く中、姉と俺は「やだなー」とボヤきながら、明かり取りの高いところにある窓を何気なく見たら、長い髪の毛をざんばらにしたような人間が、明かり取りの窓からこちらを見下ろしている。

最初は常連客の誰かがフザケているのかと、姉が「だれー?」と声をかけると、ざんばら男は「ゴブゴブ」と声を出して、すっと窓から離れた。

夕方になって雨がやんだので、外から明かり取りの窓へ向かってみると、海藻が何本かぶら下がっていた。

それから、雨の日にはよくそのざんばら頭がよく現れ、明かり取りの窓から覗いていることに気付いた。そして、よくよく見ると髪の毛ではなく、顔中を海藻でおおっていることに気付いた。

姉と俺で、小雨の中、波打ち際で遊んでいたら、全身も見たことがある。

磯でなにかを拾っている人影が見えて、俺が「あれ?」と声を出したら、「ゴブゴブ」って言いながら海へ向かっていって消えた。全身が海藻まみれで、身長は2メートル以上あったと思う。やたら手足が長かった。

一番怖かった記憶は、8月15日。

お盆は一日だけ休みで、父も出稼ぎ先から海の家へ帰ってきていた。久々に父親と再会して嬉しかったことと、おみやげの豚肉のみそ漬けが美味しかったことを覚えている。

夜中、ゴザの上で寝ていると姉に「なんか、変な音しない?」と起こされた。

外から波の音に混ざってカシャカシャ…カシャカシャ…という音が聞こえてくる。夜の海からは色んな音が聞こえてくるのには慣れてしまっていたが、聞きなれない音というのは気持ちが悪い。

父親を無理矢理に起こして、3人で窓からそっと覗くと、月明かりの中、骸骨が浜を歩いていた。

やたらと大きな骸骨で、表面にフジツボらしきものがびっしりついていて気持ち悪い。それが酔っぱらいのようにフラフラと浜を歩いている。

なにかを探すかのようにうろついている骸骨を数分見ていたが、父親がガラリと戸を開けると、骸骨はその瞬間に消えた。

8月下旬、海にクラゲが出るようになる頃、父の実家のある東京へ引っ越すことになった。

残された借金も、町役場の人が紹介してくれた弁護士を通じてどうにかなった。俺たち家族がいなくなった後、町営の海の家はなくなった、と聞いた。

その後、大きくなってから、母に人魂や海藻人間や骸骨のことを聞くと、母も何度も見たと言う。でも、子供たちが怖がるから、絶対に怖がる素振りは見せないようにしていた、と。

人魂は、母も何十回と見たことから、そういうもんだ、としか思わなかった、と。

母が言うには、海藻人間は夜明け近くに、海の家の前にトコブシ(小さい種類のアワビ)やヒメサザエを30粒ほど置いて行くことも何度かあった、という。

(母は、それらを普通に食卓に乗せていた。母いわく「あの頃、うちは貧乏だったから、アレも哀れに思ったんだろう」と)

ただ、骸骨だけは「いかん奴」だと母は認識していた。「アレは、海で死んで、遺体が発見されてないヤツなんだと思う」と。

父は、母から「あの海の家はお化け屋敷だ。早く何とかしてくれ」と何度も電話で言われていたらしい。が、理数系だった父は信じず、あの8月15日の骸骨を見るまでは、めんどくさいとしか思っていなかった、と。

あの骸骨を見て「あんなお化け屋敷に妻子を置いておけない」と、本気で借金処理を頑張ったんだと、後から知った。

姉は、小さい頃は言わなかったが、人魂を目の前30cmで見た、と俺が大学生になってから白状した。

便所(小屋の外にある)に行った時、やたらと外が明るいな、と思っていたら、目の前にバスケットボールぐらいある人魂が飛んできた、と。

そして、姉の目の前で静止したので、よくよく人魂を見ると、人魂の光の中にお婆さんの生首みたいなものが見えた。

姉は驚いて、人魂の中のお婆さんにペコリと頭を下げたら、凄い勢いで人魂は沖に向かった。

人魂の中に、人の頭があるなんて知ったら、小さい弟が怖がるだろう、と黙っていたそうだ。

怖くなかったのか、と問うと、「見慣れていたし、お婆さんも普通のお婆さんだったから、怖くはないけど、ただ驚いた」と。

俺は、大学3年の時、バイクのソロツーリングで一度だけ、あの海の家のあった辺りに行った。駐車場と浜へ降りる階段が残っていたが、海の家は跡形もなく消えていた。

海藻人間を目撃した磯は残っていたが、俺が子供の頃のようには貝もなかった。

なんで、あの頃、あんなにも色んなモノを見たのに、あまり怖くなかったんだろうか?

こうやって書き起こしてみても、全然怖くないので、こちらに思い出として残しておきます。