母と子

14/06/01
登山をしていた頃、北アルプスのとある場所で道迷いした。もう日も暮れてしまってどうにもならない状態に陥っても歩き続けた。

稜線を歩いているし人気のある山だから多分、しばらく歩けばどこからか光が見えるはずだと、なんてことはない、朝を迎えた時は「あの時はやばかったなあ」なんて思えると信じてひたすら稜線を歩いた。

今考えれば、道を失って夜になったのにビバークしない時点で自分はまともな精神状態じゃなかったんだと思う。

20時を越えると秋口の山でも風が10mくらいと吹くととても寒くなる。体感温度は零下。

稜線をあきらめて下降して樹林帯に入った。険しい道が続き、いつ気づかない斜面で滑落するかわからないという状況を暗闇の中歩き続ける。

ふと樹林の中から呼ばれる不思議な声がした。自分の名前を呼んでると分かって、怖いよりもなんだか嬉しくてその声のするまま険しい道を進んでいった。

しばらくして地図としっかり照合できる山道に出た。助かった!まさに九死に一生だった。そこでツェルト出してビバークして翌日無事下山した。あとから思い出すとその声は

「〇〇、そこだ!いまだ!あー!」

「〇〇走れ!いけー!」

「もう少しだから最後まであきらめないっー!」

みたいな掛け声だった。

無論道のない山の中だから走ったりできず、ただ黙々とその声のする方に歩を進めるだけだったわけだけど、不思議と声を怖いと思う気持ちはなくて、じわりと心が温まって自分を応援してくれてる。尽きた気力を振り絞って頑張ろうと思えた。

やがて年月が過ぎて母が50代の半ばで死に、葬式の後に父親から昔のビデオテープを渡された。そこには中学校の頃の自分のバスケ部の試合を応援する母の撮った映像があって。。。

まさにあの遭難の時の声そのもの。

中学の時は反抗期もともなって母親が試合の応援に駆けつけるのがとても嫌だった。それで何度もケンカしたことも、殴ったこともある。でも、母親はいつも応援に駆けつけてくれてた。

実家を出た後も、ちょくちょく連絡をくれた母。生きている頃からずっと陰ながら自分を心配して助けてくれていたんだと思うと涙が溢れてきて止まらなかった…

今もすごくめげた時、とても仕事に追われて辛い夜など母のビデオを再生して母の若い時の声を聞く。