猫

歯を抜いた時の話。

抜歯後の傷に血餅(けっぺい)がみられないため歯槽骨(しそうこつ)が露出し、傷に強い痛みをともなうドライソケットってのになった。

昼は車を運転して仕事行かなきゃならないから、あまり強い痛み止めの薬も飲めない。

このドライソケットの痛みってのがハンパじゃない。普通の痛み止めなんかは何の役にもたたない。仕事なんてできるような状態じゃなかったけど、忙しくて休む事もできなかった。

歯医者が会社から近かったので、午前中に麻酔の注射を打ってもらってから、また仕事に戻るっていうのが4日位続いたんだ。麻酔は午後2時頃からきれ始め、帰宅する頃にはもう全開に近い痛みが襲う。

2日目から、家に帰って処方された痛み止めを飲んで寝ることを考えるただけで、幸せな気分になる、異常な精神状態になってきた。

処方薬は服用すると、頭がフワフワって感じに軽くなって、酔った時みたいに足元がおぼつかなくなる。ぼーっとして、幸せな気分になるんだ。

そんな日が続いた3日目の夜。夢を見ていた。妙に現実感のある夢だった

作業服を着た男がオノで木を切っている。顔は無表情で霧がかかったように少しボヤけて見える。音のない世界で、オノが木に当たる音も聞こえない。

しばらくの間、自分はなんでここにいるのか考えながら、男がオノを振っているのを見ていた。

男は手を休めるとこっちを見た。その時はっきりと男の顔が見えた。目も鼻も口も一本の線でできているように見える。

ー | ー ←こんな感じ
  ー

ヤバイ、と思った。こっちへ来る。逃げたいけれど、どっちへ行けばいいのわからない。後ろを見ると、何もない空間にドアだけが浮いている。

迷わずそのドアを開けて中に入ったら…自分の部屋だった。そこで目が覚めた。怖かったあ、まだ心臓がドキドキしている。

で、体を起こしてしばらくベッドの上で、恐かったなあって考えていたんだ。そしたら、急に金縛りみたいになって動けなくなった。

横になってる時の金縛りはあったけど、この体制でなると洒落にならない。

誰かが寝室に入ってくる気配がする。さっき夢の中で入って来たドアの鍵をかけていない!きっとあの男が来たんだって思ったよ。

作業服の男は両手でささげるように"何か"を持っている。なぜかその男の周りだけが薄暗くてよく見えない。

男は自分の目の前に来て、その"何か"を渡そうとするんだけど、こんなに近くで見ても、それは"何か"としか表現できない。

金縛りなのに、手が勝手に動いて"何か"を受け取った。ヌルッと生温かい感触。大きさの割には重い。

強いて言えば、丸大ハムの丸ごとの大きいハムって感じかな。そのハムみたいなところに、細くて小さい胎児の手足がついていて、ブンブン振り回している。

ヌルッと生温かいのは血だ。

心臓が口から出そうになるってこういうのなんだ。どうして欲しいんだよ、こんなものもらっても困るんだよ。

これはさっきの夢の続きなんだ。覚めろ、覚めろ、覚めろ、夢だ、夢だ、夢だ。体を動かす事も、声をだす事もできない。

目を閉じたその時、ベッドに何かが乗った。見ると、それはうちの猫だった。猫は背中を丸めてアーチ形になって、シッポは3倍くらい太くなっている。

耳を後ろに反って今まで聞いたことがないような、恐ろしい声で男を威嚇している。男は、相変わらず無表情だが、何となくビビってる気配がする。

やれー!そいつを追っ払うんだ!男が手を伸ばして、丸大ハムをつかもうとした時、猫が引っ掻いた。…と思ったら、男の手をすり抜けてしまった。

男は、丸大ハムをわしづかみにしてこちらに背を向けた。そして、来た時と同じように両手でささげるように丸大ハムを持ちかえ、ゆっくりと歩いて出て行った。

茫然自失。

しばらくそのまま座っていたら、猫が鳴いて我に帰った。猫は興奮さめやらぬって感じで、体を舐めまくっている。金縛りから解放されたけど、心臓はまだバクバクしていた。

夢…だよな。そうに決まってる。

猫が体をスリスリしてきたんで、よくやった、偉いぞって頭をなでてやったよ。

時計を見たら、午前2時15分だった。仕事へ行くまでまだ時間はあるし、とりあえずもう一度寝ることにした。

うちの猫はベッドで寝ないからちょっと心細いけど、きっと何かあれば助けに来るだろう。電気はつけたままにした。

布団をアゴのところまで深々とかけて目を閉じた。痛み止めが効いているんで、すぐ眠りに落ちた。

どの位寝てたんだろう?口元に何かが触れる感触でボンヤリと目が覚めた。

猫が起こしに来たのかな?うちの猫は毎朝、目覚ましが鳴る1時間前に起こしに来て、肉球で私の顔を軽くポンポンする。

目を薄っすらと開けると、アゴまでかけた布団の所に、触角(しょっかく)が動いているのが見えた。

うわあって声を上げて布団をつかんで振り払い、ベッドから飛び降りた。手にはパリっていう嫌な感触が残っている。

まさか…でもきっとこれも夢だ、そうに決まってる。薬の説明書きに、幻覚のような変な夢を見るって書いてあったし。

それにしたって、確認しないといけない。ベッドから少し離れた所に立って耳を澄ませてみた。

ベッドの下でカサカサ音がする。触角をつけた"何か"がそこにいる。

願いはただひとつ。Gではありませんように。バッタだったらいいなあ。この際コオロギでもいいや。とにかく、強力殺虫剤を持って構える。

ベッドの下から茶色い奴が飛んで、本棚と壁の間に入った。50%の希望が消えた。

奴が隠れた所に殺虫剤を噴射すると同時に、奴は飛び出してきた。事もあろうに玉砕を覚悟して、神風特攻隊のように自分めがけて飛んで来たんだ。

殺虫剤を奴に向けて噴射。見事に命中して奴はポテッと床に落ちた。まだ抵抗をするつもりなのか、床を履いながらこちらに向かって来る。殺虫剤を噴射。ビショビショになった奴はとうとう動かなくなった。

そいつはやっぱりGだった。

Gは何をしようとしてたんだろう?口の中に入ろうとしてたんだろうか?

げえええー、Gに唇を奪われたあ。10回ぐらい歯磨いて、リステリンでブクブクしてシャワーを浴びたよ。

丸大ハムの恐怖は一気に吹き飛んだ。あれが何だったのかはもうどうでもいい。Gの触角を、ここまでそばで見たことがあるやつは少ないはずだ。2chの連中にちょっとぐらい自慢したっていいと思った。

以上です。

今だにGの恐怖のトラウマ中。丸大ハムが何だったのかわからない。

長文な上、たいした落ちもなくすいませんでした。