287:黄泉還り?[sage]投稿日:2010/06/27(日)00:16:09
ちょっと妙なことになってしまって、私もどうしたらいいのか・・・。
私が小学5年生になった時のこと。クラス替えで一緒になった子と仲良くなり、一緒に帰るようになりました。学区の関係で、同じ方角に帰る子が少なかったので嬉しかったのを覚えています。
それである日、その子に山を通り抜ける裏道を教えてもらったのです。
私が住んでいたのは鎌倉で、名前は分からないのですが学校の近くに山があり、通学路はその山を削り取って作られた道路沿いにありました。
大人達からは、通学路以外を歩くな、と言われていたのですが、山の中を歩くとすがすがしい雰囲気に包まれて、親にも内緒でその道を使うようになりました。
ある日、私はその子とケンカしてしまって、その子は先に帰ってしまいました。
どうしてケンカになったのかは覚えていませんが、とにかく、その日は一人でとぼとぼと、その子に教えてもらった山道を歩いていました。
だけどなんだか切なくて、まっすぐに家に帰るのが嫌だった私は、いつもは直進する所を、ケモノ道になっている横道に入っていったのです。
288:黄泉還り?[sage]投稿日:2010/06/27(日)00:34:00
そのケモノ道は左側が背の高い笹で覆われていて見えなくて、右側は葦が生えていて、隙間から田んぼが見える、という道でした。
どんどんと進んでいくと、足元の感触が段々と変わっていきました。最初は山道特有の腐葉土っぽい、ふわふわとした感触だったはずなのに、途中から石畳のような、河原のような、ゴツゴツした感触になっていたのです。
でも、見た目は黒っぽい土のままで、景色もあまり変化はありませんでした。
延々と歩いて、ちょっとくたびれたなぁ、と思っていると、急に視界が開けました。そこは野原になっていました。それまでの笹の壁がぐるりと周囲を囲っていました。
緑の壁に囲われたようなその場所には、足元にはシロツメクサやリュウノヒゲ、ユキノシタといった、地を這うような植物が生えていました。
緑色の絨毯と緑色の壁に覆われたそこには、立派な門がありました。笹の壁で出来た広い(10畳ほど?)場所の正面に、お寺のような門がありました。
私はなんとなく惹かれて、恐る恐るその門に近づいていきました。すると、触れもしないのに、まるで風に煙が流されるような軽い動きで、門がふわりと開いたのです。
好奇心に駆られた私は、おじゃまします、と言いながら門をくぐりました。
門の先には、白い玉砂利が敷き詰められて、大きな飛び石が続く、日本庭園が広がっていました。もやがかかったように、遠くまでは見渡せませんでした。
私は飛び石(なぜか一直線ではなく、バラバラに置いてあった)の上を跳んで移動しました。白い玉砂利を踏んじゃいけない、と、思い込んでいました。
ちょっと面白くなりながら、まだ青い葉のもみじを見ながら進んでいると、いつの間にかゴロゴロと巨大な石が置かれた、河原にたどりつきました。
289:黄泉還り?[sage]投稿日:2010/06/27(日)00:45:15
河原の巨石には、何人もお婆さんが座っていて、こちらをじーっと見ていました。こんにちは!とあいさつすると、一人のお婆さんがニコリと笑って。
「うちにおいで。疲れたろう?」
と声を掛けてくれました。
そのお婆さんに手を引かれて、来た道を、飛び石を跳びながら進むと、(お婆さんは普通に玉砂利を歩いていました)そこに家がありました。
立派な大きな平屋建てで、お婆さんはその家の縁側に座るよう言いました。
お婆さんはおせんべいとお茶を持ってきてくれました。お礼を言ってお茶を飲みながら、私は友達とケンカしたことを相談しました。
それはしょうがないねぇ、とお婆さんはただ、私の話にうなずいていました。そのうち、ケンカをしたのは自分も悪かったことに気付いて、
「明日、学校で謝ります」と言うと、
「それがいいよ」と言って、
「おせんべい、食べないのかい?」と聞かれました。
お腹は少し減っていましたが、夕方近くにお菓子などを食べると夕飯が入らなくなると思い、私は
「いいえ、大丈夫です。それより、そろそろ帰ります」
と、お茶のお礼をもう一度言って、帰ろうとしました。
お婆さんは「もう帰るのかい?」
と残念そうに言いましたが、
「じゃあこれをあげよう」
と、私にお茶を出した湯飲みを渡そうとしました。素敵な模様の入った白磁(はくじ)の湯飲みは、いかにも高そうに見えたので、
「いいえ、いりません。ありがとうございます」
とお礼だけ言いました。それからは来た道をたどって、ごく普通に家に帰りました。
290:黄泉還り?[sage]投稿日:2010/06/27(日)00:55:15
家に帰ると、母に遅かったわね、と言われました。もう7時を過ぎていました。私は寄り道したと言ったら怒られると思って、「友達と遊んでた」と言いました。
母は「それにしてもスカートがずいぶん、汚れてるわねぇ」と首をかしげていました。
翌日、私はケンカした友達に謝りました。その子も、謝ってくれました。
そして私は昨日あったことを話すと、その子も行ってみたい、と言いました。私は昨日のお婆さんにお礼を言いたいと思っていたので、帰りに行こう、という話になりました。
昨日と同じ場所で曲がって、同じ道を進んで、でもいつの間にかその子の姿が見えなくなっていました。名前を呼びましたが、返事がありません。
どうしたのだろうか、と思いながらも早足に進んで、例の飛び石を越えて、あのお婆さんの家へたどりつきました。
でも、どうやらお婆さんは留守のようでした。そこで私はカバンからノートを一枚破って、『昨日はありがとうございました。おかげで仲直り出来ました』と書き残して引き返しました。
友達がどこに行ったのか、心配だったからです。
果たして、ケモノ道に入る前の、いつも通る道の所まで戻ると、その子がいました。でも魂が抜けたようにボーっとしていて、私を見た瞬間、いきなり泣き出しました。
その子が言うには、私がケモノ道に入っていったのを追いかけていたら、いきなり私の姿が消えてしまって、その先にはガケになっていた、と言うのです。
291:黄泉還り?[sage]投稿日:2010/06/27(日)01:10:37
そんなはずないよ、と私が言うとその子は
「確かに見た!」と答えました。
「じゃあ確かめに行こうよ」
と言っても聞かず、
「行っちゃダメ!」
と強く止められて、
「うん、じゃあもう行かない」
と約束しました。一度人と約束をしたら絶対に守る性格の私は、二度とそこへは行っていません。
ところが先日…もう10年以上たってから、私に郵便が届きました。その子からでした。
『湯飲みを預かってます。(私)ちゃんに、と』
その子宛に『私に渡すように』と、湯飲みが送られてきたそうなのです。差出人名も、相手の住所も、神奈川県鎌倉、の先はぐちゃぐちゃににじんでいて、何も読めない状態になっているのだということです。
これは受け取っていいものなのでしょうか?色々と調べてみると、私はマヨイガか、下手をすると彼岸に行っていたように思えるのです。
お盆休みになったら、その子も地元(私は今も鎌倉在住)に戻るそうなので、その時に渡すね、と手紙には書かれていました。
なぜ、わざわざ県外に就職したその子に届けられたのか。本当はあの日、その子は何かあったのではないか?
ガケうんぬんは方便ではないのか?色々と考えてしまいます。
親にも内緒にしていますし、こんな妙な相談は誰にも出来ません。どこかの言い伝えに、似た事例は無いものでしょうか?
以上、長々と失礼致しました。
コメント
コメント一覧
なんだセレブ自慢か
他に友達も同級生も出てこないんだから、友達って言えばいいのに。
本当は友達じゃないのか。
初期の恒川光太郎が描きそうな素敵な異界。
変なところに絡むね。男友達を親しみを込めて「アイツ」と呼ぶこともあるでしょ。友達いないの?
悪い物ではなく幸運の贈り物
欲のない持って帰らない人には向こうからわざわざ後から送ってくる、ともあったような
まあ、鎌倉住民にこれ以上幸運を恵む必要もないだろうがなw
女が「あの子」というのは「他人」のことだ。
友達いないの?
想像よりはセレブでも便利でもないってさ。
道路は観光客の車で土日祭や観光シーズンはいつも渋滞しがち。山と海に囲い込まれた立地なので抜け道はないそうだ。
偏見乙
親しいけど、今はちょっと疎遠になってるんだろう。
だから、『あの子』呼びになってる。
迷い家のものは、1個持て帰って良いことになってる。
固辞すると、1つ手もとにくるようになっている。
『あの子』の元へ送られてきたのは、
『あの子とずっと仲良くしなさい』という迷い家からもメッセージ。
深読みせずに、素直に友だち付き合いを復活させれば良いのさ。
親しいけど、今はちょっと疎遠になってるんだろう。
だから、『あの子』呼びになってる。
迷い家のものは、1個持て帰って良いことになってる。
固辞すると、1つ手もとにくるようになっている。
『あの子』の元へ送られてきたのは、
『あの子とずっと仲良くしなさい』という迷い家からもメッセージ。
深読みせずに、素直に友だち付き合いを復活させれば良いのさ。
私、友達に恵まれてる女だけど会話で必要な場合は「あの子」は普通に使うよ。
この文章での「あの子」「その子」は別に自然な使い方だと思うけど。
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