俺の田舎では、30日に餅つきをする。
ついた餅の一部は各人が丸めて、敷地の一角にある祠に供える。敷地の外に面している、石造りの小さな奴ね。
31日~元旦にかけて、俺の田舎では賽の神が歳神を案内して村々を巡る、と言われている。
山神と田の神も一緒に巡るらしい。
三箇日すぎると、祠に供えた餅は消えている。神様が持って行くんだ。
大病を患っている人、大病を患う人の餅は残していくといわれている。
実際のところは、獣が持っていくんだろうけどね。
534 :本当にあった怖い名無し:2013/01/10(木) 09:31:01.10 ID:j6OqN2mG0
追記
俺の田舎の田の神は、山と里に祠を持っている。
秋~春は、山の神の近くの祠に住んでる。
田植えの前に、祭りをやって迎えに行く。
春~秋の間、里に来た田の神は賽の神の近くの祠に住む。
秋に豊作の祭りをやった後に、田の神を山の神の元にお送りする。
田の神は半年毎に山と里を行ったりきたりするんだけど、その間空いた祠は山の神と賽の神がそれぞれ守っている。
引用元:https://hayabusa6.5ch.net/test/read.cgi/occult/1356309352/
コメント
コメント一覧
鷹の爪を効かせたごぼう漬けと思えばね。
ごめん酔っ払ってた
天孫降臨時に邇邇芸命の道案内をしたことから「道開きの神」と呼ばれる有名な神様だが、邇邇芸命が来る前日本人が農耕民族でなく山岳民族だった時代山の生活を守る神だった。だから猿田彦命は天狗の先祖と言われるわけ。
で、「山の生活を守る」神だったのが「生活を守る」神になって、人々と一緒に山を降り田の神になった。
なので山と里両方に社があるのは当たり前のこと。むしろ正しい形と言える。それを今の日本人は忘れてしまってるだけ。
この田の神は稲作が日本に広まると同時進行で日本に広まったのだが、現在の愛知県尾張地方で数百年ほど足止めを食らう。理由は当時の日本はその先が寒冷地で稲作に適さなかったから。
その結果、稲を荷って稲作と田の神を伝え歩いていた人たちが渋滞を起こし「田の神を伝えれば稲作のできる土地になるだろう」と考えた人たちは一足先に田の神を伝えるために東に向かった。
稲は途中で尽きたので、ススキを田の神の標としたので、田の神の使いであるススキ(稲)を荷った人=ススキさん=鈴木さんが全国に広まった。
で、山の時代、猿田彦命の眷属は狼だった。それが山を降りて里暮らし、ムラ社会になると狼は脅威の対象になる。そこで狼によく似ている狐が田の神の眷属になった(余談だが狼という名前もオオカミ=大神から来ていると言われる)。
人の生活が豊かになるにつれて、田の神は人の財産や富、それを産む商売の神とされた。
つまり山の神→田の神→お稲荷さん。
つまんない感性してんな
土地土地の信仰話っておもしろいよね
「嘘松」「お薬出しておきますねー」はやめたの?
興味深い
猿田彦の眷属が狼なのは成る程と思った
狗賓とか白狼といった狼由来の天狗がいるからね
コメントする