東海地方の某都市に「紀ノ国坂」と呼ばれる坂道がある。紀伊の国(紀伊半島南部)の坂、という意味である。なぜこんな名前が付いたのか、郷土史家もよく分からない。駅前の繁華街から少し離れた、物寂しい場所である。現在は道も拡幅舗装され、所々には街燈もあって夜間でも自動車がしばしば通るが、1980年頃までは人通りはあまり無かった。舗装もされておらず狭い道で、両側は荒れた感じの雑木林が広がっていて、市の郊外と駅前を結ぶ格好の近道なので昼間は徒歩や自転車で通る者もいたが、夜ともなれば薄気味悪く、人々は遠回りになっても明るい人家の多い別の道を行ったものである。「夜にあの坂を通ると “むじな” が出るぞ」と言い伝えられていたからでもあった。
50年余り前の事だと言う。夜更けに紀ノ国坂を歩く者がいた。郊外の農家の主人で、駅前の親戚の家から帰る途中であった。風呂敷包みを下げ、懐中電燈で前を照らして行く。十日余りの月が照らして、道はそんなに暗くはないのだが、弱々しい月光のために両側に立ち並ぶ葉を落とした雑木が骸骨の群れのようにも見え、不気味だ。「やっぱり遠回りした方が良かったか……?」、そんな事をつぶやきながら農夫はゆるい坂道を下った。
すると、こちらに背を向けて道端にしゃがんでいる人の姿が目に入った。少しずつ近寄って行くと、それは若い女であった。肩を小刻みに震わせて、泣いている様子である。こんな寂しい人気(ひとけ)の無い所になぜ若い娘が、と農夫は不審に思いもしたが、もしかして自殺でもするつもりなのか、それとも何か不幸な目に遭ったのかと考え直すと、懐中電灯の光を当て、「これ、娘さん、こんな所で何をしている? ここはあんたのような子が来る場所じゃない。どうしなさった?」と声をかけた。
女は聞こえたのか聞こえないのか、泣き続けた。もう秋も終わりに近いのに、彼女は薄い白いブラウスを着ただけの軽装だった。かすかな泣き声と共に震える体はいかにも細くて華奢で、夜露をしのぐのさえ辛いのではないかと思える。下半身は濃い色のタイトの、当時の地方ではまだ珍しかったミニスカートを履いていた。スカートの裾から伸びる太ももとふくらはぎもやはりほっそりとして、それを包むストッキングが月光を受けてなまめかしい光沢を見せている。背を向けているからもちろん顔も見えないが、懐中電灯に照らされて艶やかに輝く長い黒髪が顔の両側を流れていた。泣き声を聞かれるのを恥ずかしがっているのか、かみ殺して押さえているようであったが、それが何やら弱々しく喘ぐようにも聞こえる。
農夫も男には違いないから、そんな若い娘の色っぽさに心を動かされなかったわけではないが、彼ももういい年であり、実直で親切な性格だったので本当に女の事を心配して、できるなら助けてやろうと思ったのである。「どうしたのかね? そんなに泣かないで、何かわけでもあるのならわしに話してごらん。わしで良ければ力になってあげるよ」。
それでも女はか細く泣き続けた。農夫は懐中電燈を風呂敷包みといっしょに左手で持ち、彼女の肩にそっと右手をかけて言った、「ねえ、お願いだからわしの言う事を聞きなさい。悪いようにはしないから。家が近くなら送って行ってあげるよ。さあ、立ち上がって」。
女が泣くのをやめ、力無く下げていた頭を上げた。そして白く細くしなやかな指で顔を隠していた長い髪をかき上げ、顔をこちらに向けた。
「わあーーっ!」と悲鳴を上げ、農夫は跳び退った。女の顔には目も鼻も口も無かった。ツルンとした無機質な表面が、冷たい月の光に照らされて白茶けて見えた。農夫は懐中電燈も風呂敷包みも放り出し、坂道を一目散に駆け戻った。むろん、後ろを振り返る勇気など無い。背後からあの弱々しい泣き声が追って来るような気がして、何度も転びそうになりながら死に物狂いで走った。ようやく前方に明かりが一つ見えて来た。恐怖心の中に希望の光を見出して、彼は走りに走った。
それは、道端に止まっている中華そばの屋台であった。冷静に考えれば、こんな人通りの無い所で中華そばの店を出しても商売になるわけがないが、余りの恐ろしさに動転していた農夫にはそこまで理解する心理的余裕など無かったし、今はどんな光でもどんな者でも、とにかく人のいるのがうれしかった。彼は飛び込むような勢いで屋台の前の椅子に飛びつき、座り込むと屋台に体を預けて「ああ、ああ、ああ……!」と荒い息をついた。
「これこれ!」、中年のそば屋はぞんざいな口調で声をかけた、「どうしました? 何をそんなに慌てていなさる? 何か怖い目にでも遭ったのかね?」。「……いや、怖いも何も、……ああ、ああ……」、農夫はまだ息が切れて、うまくしゃべれなかった。「何ですか? チンピラヤクザにでも絡まれた?」。「いや、チンピラなんかじゃない。……女が、女がいたんですよ……。その女が見せたんです、顔を……」。「へえ、どんな顔を?」。「どんな顔……。いや、とても口で言えるようなものじゃない」。
「へえ、女が見せた顔というのは、こんなものでしたかね?」とそば屋は言うと、手で自分の顔を上から下へ撫で下ろした。するとその顔は卵のように目も鼻も口も無くなってしまった。
「そうだとも、こんなふうにだよ!」、農夫も顔を撫でると、目も鼻も口も消えた。
同時に屋台の明かりもフッと消えた。
投稿者:へそ吉様
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本式におかしなっとるやん。
そんなことより、この話を読んでる最中にスマホがピロリンと鳴ってこのニュースを伝えてきた。
池袋暴走事故 飯塚幸三被告に禁錮5年の実刑判決 東京地裁
どうせ控訴して延々と続くだろうけどね。
で始まる、ラフカデオハーンの”むじな”ね。
恥を知れ
あんな有名な古典怪談を盗作して改悪するとは、恥ずかしくないんかね?
東海は静岡と愛知だけだろ。
大学教授とかいう割に、日本の地理も知らんのかよ。
他人の怪談には散々ケチをつけといてコレは無いわ
え?三重と岐阜も東海じゃないのか?
むじな???
コメ欄がおもしろいことに~
小泉八雲の「狢(むじな)」を劣化コピペしたような話なんですよ、これ
この怪異は特徴を見てものっぺらぼうそのものですがその呼称は作中に出てきません
「盗作」の意味や定義について書き出したらこの欄がパンクしても足りないくらいになるので、言葉足らずで誤解を招く恐れは承知の上でごく簡略に書きますが、一般に盗作であれば、いかにもその作者・投稿者が自分で創作したように書くものです。私はこの話においては、冒頭から小泉八雲の『Mujina』の改作と分かるようにしましたから、盗作ではなく「パロディ」・「翻案」に該当しますよ。悪い行為ではない。プロの作家でもこういうやり方は珍しくありません。芥川龍之介の作品の幾つかもそうですね。
改作に関しては著作権の問題も絡んで来ますが、私が京極夏彦や有栖川有栖の作品を勝手に書き直したならともかく、著作権の保護期間は、日本では最近まで作者の死後50年だったのが欧米並みに70年に延長となっており、いずれにせよ小泉八雲は1904年に亡くなったから、とっくに著作権は切れています。八雲の作品に手を加えても合法です。
そんな事で、冒頭にも書いた通り、私は投稿をほめてもらえるとは期待していなかったが、盗作呼ばわりには失望しました。普通の知識や教養のある人なら「パロディ」や「翻案」だと分かってくれると楽観していたのに、今さらながらネット民の知的水準に低さにはがっかりしましたよ、プンスカ!
パロディや翻案を謳いたいなら自分の嗜好丸出しの自己満足品じゃなく読む人が好き好みそうな要素を入れて話書けばいいんじゃないですかねー(棒読み)
猿真似の二番煎じに蛇足付けても評価されるわけないのですヨ
みんな呆れて乱暴な物言いになっているだけで、本気で盗用、盗作と思っている人は少ないと思う。
読む値打ちがないと思われてるんですよ。
「ハーンの名作を自分の流麗な文章力で現代に甦らすやで」とか「この斬新なオチ、みな驚くやろなあ」とか考えていたのなら、考え直したほうがいいです。
包丁さばきは上手なのに味覚障害のあるシェフで、美味しくない一皿を次々に提供する。何故か自分の料理には絶大な自信を持っていて、他人の料理の粗探しが異常にうまい。
そんな失笑レストランが本当にあったら行かなきゃいいだけですが、わざわざ投稿されるとね。つい読むんです。それは自己責任なので「時間を返せ」とかあなたを非難するつもりはありません。まずけりゃ不味いと言うだけなんです。
ごちそうさまでした。次の一皿もきっと食っちゃうんだろうなぁ…
大学勤務(教授とは言ってない)だぞ
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