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21/06/30
 私はある地方の大学に勤めている。職種や職階は伏せておこう。今から書き綴るのは、私が勤める大学が所在する地方都市に近い集落、それに東京の某有名大学も巻き込んで“起こった”とされる怪事件である。

私の大学がある地方は酪農が盛んで、大学が所在する市の郊外にも乳牛を飼育する農家が10軒以上あり、食品会社や乳業会社に牛乳を販売している。


さて、武漢肺炎でオンライン講義やら何やらと混乱していた大学もようやく落ち着いていた12月初め、私の研究室に3人の女子学生が、「先生、こんな物がありました」と言って、1冊の本を持ち込んで来た。「実話怪談集」と銘打ったソフトカバーの本で、1999年の奥付がある。彼女らのうちの1人が、緊急事態宣言などもあってしばらくご無沙汰していた東京の親せきの家に行った時、そこの物置の掃除を手伝った際に見つけたという。

「ここですよ」と彼女らが言うページを見ると、この市の郊外の酪農家で起こった奇怪な出来事が掲載されているではないか。私も長らくこの大学に勤めているが、地元でこんな事件が起き、書籍に掲載されていたとは知らなかったので、興味を引かれて読んでみた。以下にその概要を紹介してみよう。

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 市の郊外にある某集落には、大小5軒の酪農家があり、その事件が起こったのは、集落の端の方にある鈴木家(仮名)という、9頭しか乳牛のいない小さな農家であった。小規模ではあるが鈴木家の牛乳は質が良く、食品会社から重宝されていた。

 まだ寒さが残る早春の頃、まだ夜も明けていない一番冷え込む時間帯に、鈴木氏は懐中電燈を手に自宅の玄関を出て牛舎に向かった。「湖衣姫号(こいひめごう)」という牛の出産が間近に迫っており、様子を見るためだ。牛舎に入っても、眠っている牛にストレスを与えないように照明はつけず、懐中電燈を照らして進む。

 湖衣姫号に近づいて光を向けると、きのうまで大きかった腹がすっかりしぼんでいた。「生まれたのか?」、鈴木氏は急いで駆け寄り、湖衣姫号の後ろ脚の間に敷かれたわらの上に光を当てた。70cmくらいの大きさのものがうごめいている。だが――。

 鈴木氏は、父親の手伝いをしていた時から、かれこれ40年近く牛の世話をして来た。出産にも数えきれないくらい立ち会っており、生まれたばかりの子牛も見慣れたものだ。だが、今彼が見たものは「子牛」とは思えない生き物であった。

 鈴木氏は牛舎を飛び出し、家の玄関に駆け込むと大声を上げた、「みんな起きてくれ!」。……妻と息子と娘が、眠そうな顔をしてパジャマ姿でのろのろと出て来た。息子が不機嫌そうな声で「こんな時間にどうしたんだい、父さん?」と言う。「湖衣姫号が化け物を生んだ……」、鈴木氏は声を震わせた。家族は眠気が吹っ飛んだように目を見張った。妻と娘が表情を硬くする。「本当かい、父さん?」と息子。鈴木氏は大きく頭を振ってうなずく。家族の者も、父――夫がたちの悪い冗談など言う人でないのは承知していた。

 5分ほどたって、服を着替えた息子と鈴木氏が牛舎に入った。湖衣姫号のいる区画に入り、懐中電燈で照らすと“それ”はいた。しばし見つめた後、「何だい、これは……」と息子がつぶやく。それはもう動いていなかった。生まれてすぐ死んだようである。鈴木氏も見た事が無い異形で、化け物と言ったのも無理はなかった。耳は確かに牛のそれの形だが、頭の上ではなく、人間のように頭の横に付いている。両方の目も、普通の牛のように顔の横にではなく、顔の前に並んでいる。その頭も丸く、人間の乳児に似ていた。その一方で口は前に突き出し、牛のようでもある。しかし前脚と後ろ脚は胴体と並行に向いており、人間の腕と脚にそっくりであり、にもかかわらずその先には指ではなく、牛の蹄が付いていた。まさに人間と牛をでたらめにくっ付け合わせたような奇怪な姿であった。

 湖衣姫号は、そんな人間たちの不安や恐怖など知らぬかのように、そして人間とも牛ともつかぬ奇妙な子を産んだ事など我関せずと言いたげに佇んでいた。

 夜が明けて、椿事の話が集落に広がると、酪農家はもちろん非農家の人たちも何人か物珍しさに鈴木家の牛舎にやって来た。「気持ち悪いなあ」、「こんなの見た事がない」と言う人もいたが、ベテランの酪農家は「珍しい奇形の一種だろう。大学の先生に調べてもらったらどうですか?」と助言した。その頃には鈴木氏も落ち着きを取り戻しており、奇形の牛に違いないと考えて、県庁の畜産関係部署を通じて東京の某大学に連絡を取り、その結果畜産学の教授、獣医学の教授、動物学の教授各1名が調査に来たのである。

 3人の教授は奇妙な子牛を入念に調べたが、一体何なのかわからない、との話であった。そして、大学に持ち帰って詳しく調べてみようという事で、その場で持参した標本用の容器に死体を入れ、アルコール漬けにして、結果がわかれば報告する旨を鈴木氏に告げて東京に戻った。

 しかし、それから奇怪な事が続いた。3人の教授は次々に不可解な死を遂げたのである。東京の大学に標本を持ち帰った1カ月ほど後、一番若くて健康診断でも何の問題も無かったはずの畜産学の教授が突然の脳出血で倒れ、意識が戻らぬまま亡くなった。それから1週間ほど後、獣医学の教授が、青信号で横断歩道を渡っていた時に信号を無視した大型トラックにはねられて即死。運転手は、信号が変わったのに気付かなかったと証言したという。それから10日余りたった頃、動物学の教授が死亡した。家族に何の連絡もないまま夜になっても大学から帰宅せず、そのうち朝になったので心配した家族が大学に連絡、大学職員が彼の研究室に入ると、机に突っ伏して冷たくなっていた。警察による検死では、死因は急性心不全とされたが、この教授も健康に特に問題はなく、亡くなる前日も元気であったとの事。警察も死因が分からず、急性心不全としか言えなかったのだろうと同僚や職員たちは話した。

 そのうちに、誰言うとなく彼らはあの奇怪な「牛人間」に祟られたのではないかとの噂が、彼らのいた学部に広がり始めた。大学の上層部は、そんな話は根もない流言だとして、教員や職員らに箝口令を敷いて噂の拡散を封じ、奇形牛の標本を別の場所に移送しようと決めたのだが、どうしたわけか、あらゆる場所を徹底的に探したにもかかわらず、標本は見つからなかった由。台帳には明確に記載してあり、誰かが持ち出したり処分したとは思えなかったが、ついに発見できなかったという。幸い、3人の教授以外には不審死した者はおらず、大学は平静を保っているが、「牛人間」の標本は誰の目も届かないどこかに隠されていて、新たな獲物を狙っているのであろうか……?

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 こんな内容であった。「気味の悪い話ですね」、「こんな事が本当にあったんでしょうか?」などと女子学生らは口々に言った。彼女らを安心させようと私は答えた、「この種の話はたいがいいい加減なものだからね。面白くてたくさん本が売れるようにとあれこれ手を加えてあるものだ。そう……例えば、この事件が何年の何月何日に起こったかという、一番肝心の情報がないでしょう? もし誰かこの土地の人が『こんな事が起こったなんて知らないぞ』と文句を言って来ても、筆者や出版元は、『日付が書いてないから、これはただのフィクションだ』と言い逃れができるというわけだね」。

 学生たちはほっとした顔で帰って行ったが、実は私自身、自分の言う事に確信があったわけではない。まあ、畜産農家としては、奇形の牛が生まれたなどという話が広がっては風評被害を受けて困る結果になりかねず、実際にそんな事があっても闇に葬るだろうから、畜産や動物学とは畑違いの私が調査など無理な話なのだが、何やら興味を引かれる一面もあり、他の大学関係者に会う機会があれば本題の付け足しのようにこの怪異譚を紹介し、何か情報があったらご教示下さい、程度の事を言っていた。東京の某大学に問い合わせようかとも考えたが、突拍子も無い話だけに、さすがにためらわれた。

 そして武漢肺炎の度重なる流行で人の行き来が鈍り、私も忘れかけていた時、思いがけなく進展があったのである。東京の某大学の名誉教授から電話があり、名古屋で獣医学の会合があってその後時間が空くので、帰る途中にお尋ねしたいと。私は一瞬戸惑ったものの、幸いすぐに思い出す事が出来た。予期せぬ邂逅に、夢ではないかと思われたほどだ。名誉教授の要望通り、怪談本の写し等の資料をメールで送り、会見の日を待った。

 名誉教授はきちんと約束の日の時間通りに来訪され、詳しい話を聞かせて下さった。すべて書き上げては冗長になるので、要点だけ触れておこう。

「鈴木家からは、できるだけ内密にしてほしいと要望されましたので今まで口外は控えて来ましたが、もう30年近い昔の事件であり、あなたに真実を知ってもらってもかまわないでしょう。そもそも、怪談の本に書かれているという事は、どこかから情報が漏れていたのですね。人の口に戸は立てられませんからね。だが、真実ではない事をあれこれ書かれては困りますよ」と名誉教授は、私から受け取った怪談本のデータを印刷したものを手に、苦笑交じりに語った。


「ほう、やはり信用できない部分がかなりあるのですね?」。
「そうです。母牛の名前が『湖衣姫号』となっている時点で捏造だと分かります。牛の名号には規定がありまして、乳牛はカタカナで表示するようになっています。『湖衣姫号』という名の乳牛はいません。さらに、私の大学から3人の教授が調査に行って、しかも3人とも変死したなんて、でたらめもいいところです。調査に行ったのは、他ならぬこの私なのですよ」。

 奇形牛が鈴木家で生まれたのは1993年3月の事。県庁から連絡を受けて調査に赴いたのは、当時は助教授(今の准教授)だったこの人と、大学院生の男女1人ずつの計3人であった。実際に現地で奇形牛を容器に入れて標本にして持ち帰ったのだが、むろん祟りも異変も無かった。それどころか、助教授は同僚に抜きんでて教授に昇進し、大学院生も、男性の方は研究者として今では欧米でも名前を知られる存在であり、女性は大手の畜産加工品会社に就職、今は幹部社員として業績を上げている由。むろん両名ともすでに結婚し、子供にも恵まれて幸福な人生を歩んでいる。

 「標本もちゃんと大学の研究所に保管されていますよ」。名誉教授は持参した写真を見せて下さった。「なるほど……。でも、こんな変な子牛が生まれるなんて不思議ですね」。

 「まあ、細かい事を言い出すときりがありませんが……。研究者の中には、飼料に含まれる化学物質の影響だと言う人もいます。でも、昔からこうした奇形の個体は、稀ではあれ生まれていたはずです。ニュージーランドで19世紀後半に出産の記録があります。鈴木家の場合と同じで、昔から、実際に生まれても密かに処分していたものでしょう。

 しかし、繰り返しになりますが、人の口に戸は立てられない。秘密は漏れるものです。……『件(くだん)』という妖怪の話はご存知でしょう? あれも、古い時代にこんな奇形牛が生まれて、それが妖怪として語り伝えられて来たものだと私は考えているのです」。


投稿者:へそ吉様