edt907-keijizufu044

21/04/07
随分前に2ちゃんの家系・因縁スレに書き殴った話とその後日談。

長いので箇条書き
・日本人なら誰でも知ってる主家に仕える、教科書に大抵載ってるA家の分家B家が自分の先祖。
・先祖は諫言くらって処刑・お家断絶。
・主家の居城の博物館には先祖が処刑された謂れと絵図がある。自分につながる人の処刑図はまぁまぁ恐怖。
・でも実は細々と続いていて、自分の曽祖母はB家のお妾さん。
・B家の当主夫人「大奥様」は子がおらず、曽祖母には息子が二人。長男がB家に養子、次男がじいちゃん。
・長男が戦死。大奥様がじいちゃんを寄越せと言うが、曽祖母の家も跡取りが必要だったので拒否。B家は養子を取る。
・B家には変なしきたりがあって、3代ごとにA家が家系図と位牌を取りに来る。戸籍法ができる以前の約300年間の家系図がない。
・親父が生まれた時もB家大奥様が親父をよこせと言ってきて、地元の大店だったばあちゃん実家とバトル。嫌になった養子が出て行ってB家は大奥様だけになる。
・自分は3きょうだいの末っ子だが、大奥様に気に入られて跡取り娘に、と言われた。よく連れ出されて(今思うとプチ誘拐)、主家地元当主(主家は複数家に分かれていて地元にいる第一分家)とA家当主に会わされたことも。
・どうでもいいが地元当主はテレビだと人当たりよく大家の当主然としてるが、実際すげー圧のある怖い人。
・自分が小学校に入る前に大奥様が亡くなったかボケたかでB家からの連絡が途絶えた。
・小学校上がるまで「三姉妹」だったが実は長男だった自分、大奥様からの接触がなくなり安堵。(大奥様が健在だったら小学校入学時の性別どうするつもりだったんだ?)

この辺りまで2ちゃんに書き込んだ気がする。


続き

その後、親父が夭折したので家業を継いだんだが、A家当主から連絡もらって会いに行った。
主家地元当主もいて、そこでずっとA家に取り上げられてた家系図を見せられた。
A家当主が言うには、B家をお家断絶に陥れたのは同じ家臣団の一人C家。C家一族がずっと、B家は生きているのでは、仕返しするのでは、と怯えて?見張ってたらしい。
繋がった家系図があるとどこかで「うちってB家の子孫じゃん!」と子孫が騒いだり人から漏れる可能性がある。だから家系図を三代で取り上げていた、と。

で、C家が一代前に養子夫婦をもらい、その子供の代になってB家との因縁が伝わってないようなので、もう家系図を作ってもいいだろう、と判断したらしい。
大量の家系図を並べると、ちゃんとじいちゃんまで繋がった。全員の法名も書いてあった。
B家を陰ながら存続させたのは地元主家とA家の判断で、主家も知らないらしい。その辺の事情は分からないが、B家の子孫と言えるのは自分とその子供だから、先祖供養を、と言われた。
正直ピンとこないし、主家の法要で先祖は供養されてること知ってたし、曽祖父からの家系図と法名だけもらって(大奥様が作ってたらしい)、そこに自分と子供の名前書き込んだ。

C家とは一度も会ったことないしこの先も会うことないだろうし、自分はお妾の子の子孫だから、なんかあってもバックれるつもり。
しかしそんな長い間仕返しに怯えるなら、諫言なんかしなきゃよかったのに、と思う。
そんなにB家先祖の何かが欲しかったのか、妬ましかったのか。

以上、400年ぶりに多分解決した家系の話でした。


投稿者:ハブ様