ふと思い出した後味の悪い話。
『日本残酷物語』という、民俗学系統の本に載っていた実話。
明治以降も、乞食に対する対策は放置されていた。
しかし、彼らがからくも生き延びられたのは、
昔の村々では本日ほど乞食を忌み嫌わず、村の成員として恵み物を絶やさなかったからである。
ある村で、女乞食がしきりに苛められるのに義憤を感じた若者がこれを庇い止めると、女乞食はそれを喜ばなかった。
苛めたりからかったりするのは、憎んでの事ではなく、愛しての事だと。
そうされる事により、怒ったり泣いたりのリアクションを取るのも一つの演出で、
人々はそれにより彼女を意識し、食べ物を与えた。
ところが女乞食苛めが止んでしまうと、村人は彼女を意識しなくなり、食べ物も恵まなくなったのである。
この話を読んだ時は、やりきれなかったな・・・。
引用元:http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1467617840/
コメント
コメント一覧
苛めてる人と恵む人は別なんだよね
苛められてるのを見て可哀想だと思った人が恵む、っていう理解でいいんだろうか
それとも苛める人が恵む人でもあるんだろうか
お地蔵さんへのお供えとかも
誰かどうしようもなく困った人が通りがかって
命が助かるようにというナマポみたいなライフラインと
強盗は止めてね、っていう保険のようなものやったと思うで
備えと読みが同じなのも真なり
昔は賢いお坊さんがぐるぐる日本中回ってたから
社会システムを整える助言をしおって
共同体の平均値をあげてたんやと思うで
報告主の説明がヘタクソなのか
元の本の著者の説明がヘタクソなのか迷うよね。
活字になっていれば実話だろうと考えるのは危険です^^
※8みたいに、「うまいこと思いついた」ってバカの一つ覚えで書き込みするやつも、同じ。相手にしてほしい承認欲求の塊。
そんなに難解か?「イジメ」という行為があることでその存在を認識してもらえてたから
施しも受けられてたのに、って素直に読み取れると思うが
つーか「義憤を感じた若者」が責任取って面倒見れば良いだけの話だな
ものの1分後、ホームレスが来て当然のように全部かっさらってった。唖然とした…
それでもええんよ。
俺の郷里だと、集落の入り口に道祖神がいて、集落の家の角(外)には、屋敷神がまつられている。で、みんなそこにお供えをする。
道祖心のお供えがなくなれば、村が無事で過ごせる証拠だとされてる。
正月の時は、家の屋敷神に住民が1つずつ持ちを供えて、
その餅がなくなれば、一年間無事に過ごせる。と言われてきた。
食ってるのは獣かもしれないし、流浪の人や乞食かもしれん。だれが持ってっても良いのよ。
無くなることで備えた側が救われる。という「信仰」があるんだから
むしろなくならない方が困るの。今は、過疎になったんでおちおち食い物をおいてもいれないけどね
そう。
当方プロレスファンなんだが、そういう「義憤を感じて救助するが、後フォローが無い若者」みたいな連中が「小人プロレス」を潰してくれたんだよ。
小人レスラー達にとって、大事な収入源+自己表現の場だったのにね。
その代わりにホームレスは飢えずに済むし店もゴミ箱荒らされたり泥棒に入られないという側面があるんだろ
まあ唖然とするのはすごくよくわかるよ
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