433 :本当にあった怖い名無し:2008/02/19(火) 13:13:29 ID:mJCRofjZ0
388の洞爺丸がらみ。ちょっとスレチになったらごめん。
伯母が当時中学生で、北海道の叔父のところに滞在していたそうだ。
もう学校は始まっているはずなのに、どうして9月の下旬に北海道にいたのかは
詳しく知らないけど。
で、本州へ帰るためにあの沈没する洞爺丸に乗る予定だったんそうだ。
ところが、その2,3日前から急に足の裏に魚の目ができて、歩ける状態じゃなくなったそうで、
結局帰るのを延期することにしたそうな。それで結果として難をのがれたのだけれど。
伯母は母の姉にあたる人で、もう70近いし、難病で記憶もあやふやなところが
あるから詳しくは聞けないのが残念だけど、伯母をあの船に乗せないために
何かの力が働いたのかもしれないと思っている。
スレ汚しスマソ。
洞爺丸事故
1954年(昭和29年)9月26日、台風15号 洞爺丸台風(国際名:マリー〔Marie〕)の暴風と高波により転覆・沈没し、死者・行方不明者あわせて1,155名という、日本海難史上かつてない洞爺丸事件を起こした悲劇の船として、歴史に名を残すことになった。
引用元:https://ja.m.wikipedia.org/wiki/洞爺丸
引用元:https://hobby11.5ch.net/test/read.cgi/occult/1188718576/
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洞爺丸台風と言えば、函館港での青函連絡船の集団遭難と1400人以上の犠牲者に目を奪われがちですが、実は台風が最初に上陸・通過した西日本でも死者行方不明が300人以上出て、かなり大きな被害になっていました。台風が深夜(午前2時頃)に時速80キロメートル前後の高速で奇襲上陸した事、当日は日曜日だった事、さらに新聞休刊日で情報がうまく伝わらなかった事などが原因かと思います。
※本文中の Wikipedia の引用文では洞爺丸の犠牲者は1155人とされていますが、諸説あり、最も少ない数字では1139人です。
体調不良で。
その体調不良になった船長が、亡き祖父のいとこで、よく話を聞きましたから。
水上勉「飢餓海峡」の題材としても使われたのを覚えている。
いや、今回はくそ基地(ガイ)に分があるみたいだ
魚の目が出来なかった1000人以上の人は見放されたのか?『こいつらは逝ってよし!』みたいな判断下されたのか?誰に?
船長も体調不良で変更だって?代理の船長船長は何か悪いことでもしたのか?
運命かえられるものは帰られる。還られぬものは死んだそれだけだ
それは都市伝説らしい。
ちなみ官僚と言うより国鉄の偉いさんね。
出港を強要した証言は残ってない。
役人だか、天気見に焦れて「もういい!降りて酒飲む!」と無理やり橋を降ろさせて下船して助かった人がいる→函館の旅館で酒飲んでる時に遭難を知る。
逆に天気見で出港見合わせてるので「ああよかった、出港時間過ぎて函館着いたけど船がある!」で乗り込んだ乗客もいる。
生死は紙一重。
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