テンプル騎士団

377: 本当にあった怖い名無し@ \(^o^)/ 2016/03/20(日) 12:28:23.17 ID:tHSW+jvq0
テンプル騎士団の終焉 

テンプル騎士団は十字軍の際に異教徒と戦う宗教騎士団として組織されたものであるが、 
人々から受けた多額の寄付を、騎士たち自身は清貧を旨としているため戦費や体制づくり以外では 
自己自身のためには使わず、諸王家などへの貸付や巡礼者に対する銀行業務などによって財産を運営していた。 
そのためパリなどは全土地の1/3がテンプル騎士団の所有となるほどであった。 
フランス王フィリップ4世もテンプル騎士団の援助によって国家財政をやりくりしており、 
険悪だったイギリス王との縁談による和平や、教皇との対立といった外交の際も騎士団に頼っていた。 
特に1306年、パリで飢饉による暴動が発生した時にはフランス王フィリップ4世はパリ内のテンプル騎士団城塞に 
保護してもらうなど、フィリップ4世にとってテンプル騎士団は命の恩人に等しい存在であった。 
そのため1607年にテンプル騎士団総長ジャック・ド・モレーは教皇クレメンス5世の 
「幹部全員で少数の護衛とともにパリ入りせよ」 
という命令を受けた際、自身に危害が及ぶなどとは思いもせず、教皇の意のまま数十名の部下のみを連れてパリに入った。 



378: 本当にあった怖い名無し@ \(^o^)/ 2016/03/20(日) 12:31:12.83 ID:tHSW+jvq0
しかし数日後、フランス王の命令で幹部全員が「異端罪」で逮捕され獄につながれる。 
実はフィリップ4世は教皇クレメンス5世と和解した時に 
「教皇はフランス王に一度だけ白紙委任状を付与すること」という条件をつけており、 
クレメンス5世はテンプル騎士団の無実を知っていたものの、この条件のためにテンプル騎士団の逮捕、 
裁判に関してフィリップ4世の傀儡とならざるを得なかった。 
そしてフランス王と対抗できる存在のイギリス王はテンプル騎士団の仲介もあってフランスと和平関係にあったため、 
テンプル騎士団を救えるものは誰もいなかった。 
結局、フィリップ4世の側近のギョーム・ド・ノガレによるでっちあげの罪状と(悪魔バフォメット崇拝、同性愛、キリスト像の冒涜、など) 
拷問によって強制された数人の自白をもとにテンプル騎士団の全幹部は火炙りによって公開処刑。 
テンプル騎士団の全財産は実質的にフランス王家が接収した。 
総長モレーは死ぬにあたって「教皇クレメンス、ノガレ、フランス王フィリップには1年以内に神の裁きを!そして子々孫々まで呪いがあらんことを!」 
と言い残したと伝わる。 
実際、クレメンス5世はその直後赤痢によってそれから40日も経たずに死亡。フィリップ4世は落馬のために1年以内に死亡。 
フィリップの息子は3人いたが、いずれも王位につくものの息子を残さず短命で死亡し、フランス王位は傍系のヴァロア家にうつった。 
ノガレは次代の国王ルイ10世によってフィリップ4世時代の悪政のスケープゴートにされモレー処刑1年以内に失意のうちに死亡。 
こうしてテンプル騎士団の呪いは成就したと言われる。 



379: これで終わり@ \(^o^)/ 2016/03/20(日) 12:40:42.44 ID:tHSW+jvq0
なお、テンプル騎士団の名誉回復がなされたのは19世紀になってからで 
それまでの公式見解は「異端」であったため現在でも怪しげな宗教団体のイメージがつきまとっている。 


引用元:http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1456916823/