18/11/10
心霊とか怖い話ではなくて、偶然に田舎の霊峰近くで遭遇した国際的な遭遇。
紅葉の時期には特にハイカーや登山者で賑わう石鎚山系の瓶ヶ森に常柱からのコースを選択した時の事、まだ阪神大震災の確か5年程も前だったろうか?
スーパー林道が開通されて何年も経っていて車で誰でも程無く登山口に着き、氷見仙石原を散策しながら紅葉を楽しめ、向側に霞んだ霊峰石鎚が聳える別天地です。
其れを渓谷のせせらぎを聞きながら常柱に辿り、いよいよ通称 釜床の登りを屈服しなければならない山ヤ泣かせの這うような急登が続き、登っても登っても高度を稼いでいるのか、どうかさえ分からない7時間以上の行軍が続きます。
私は朝8時過ぎだったでしょうか?砂利道の片側いっぱいに車を付け、登山口から出発、最後の懸垂で到着したのが夕方近くでした。思わずバンザイ三唱したのを憶えています。何度諦めようとしたことか、本当に忍耐力が必要ですよね。
近くの幕営地でテントを張るや、この夜のために用意した仏料理材料で豪勢に夕食を整え、職場の皆々様に証拠写真を見せる為にカメラをセット、ランタンを灯し一人だけのディナーの始まりです。お仕事頑張った私へのご褒美でした。
サーロイン、ポタージュスープ、サラダ、フルーツ、そして赤ワインも有りました。
そして疲れもあってか熟睡…白みかけた外気にテントが晒され始めた時の事…。
突如! キーンゴー! という総てを切り裂く様な轟音!「何事か⁉︎」自然に抱かれてスヤスヤと寝息をたてていた私は取り付くことも出来ず、ただ起きた事に唖然とするだけ、ビックリした拍子に身体が宙に浮いた感じでした。
山の精霊とかツキノウワグマとか、狐さん、鹿さんとかが暴れてテントに当たるのではなく、寝惚け眼の朝一に金属的機械音がこの霊峰に轟いていたのですから。
のちにこの現象は北朝鮮のミサイル配備に対抗する為、岩国の米空軍基地戦闘機が北朝の地形、山並みに良く似た四国の山岳で模擬演習をし始めたのだそうです。
その第一陣が私の「瓶ヶ森山行」のテント泊の朝と時間的に合ってしまったという事でした。
正に「寝耳に水」の出来事でした。
投稿者:山幸彦様
コメント
コメント一覧
「開通」の定義が判らん(林道自体は70年には開通)が、恐らく全面舗装された事を言ってるんだろうから04年。
東日本と間違えたんだろう…わざわざ四国の山に行くんだから西日本の人だと思うんだが…
1995年が阪神大震災で、5年前の1990年ころとなる。
1994年は、オレンジルートと呼ばれる岩国米軍の訓練の空路で、米軍機による訓練が激しく、空軍機の墜落事故も生じている。
オレンジルートは、和歌山県南部の椿山ダム上空を起点として、紀伊山地を南西に飛んでから紀伊水道を北西に向かって横断し、対岸にある高知県東洋町上空から四国山地の山々に入る。
幽霊話でも無いのだから、おまえら少しは調べて言おうぜ。
だから93年に発射実験が成功したミサイルに対抗する演習を90年にやるわけがないだろ?
93年に「配備」じゃなく「発射実験」だぞ
1990年時点での認識が出来ないから1994年の事例が1990年に適用できると考える。
見る方向が逆だ
なに頓珍漢な言ってるんだ馬鹿
地震の5年ほど前ということは必ず1990年でもない。
この話でポイントは、1995年の阪神大震災の少し前の時期に
四国の山中で戦闘機らしき轟音を聞いたってことだ。
それは北朝鮮のミサイルでもない。
すなわち、1993年に弾道ミサイル「ノドン」の発射実験に成功したことにより、朝鮮半島核危機が始まり、これ以降、在日米軍は北朝鮮の山岳を模して和歌山から高知にかけてのオレンジルートでの訓練が始まった。
特に多くなったのが1994年で事故が増えたといううらずけが取れるということだ。
それ以上でもそれ以下でもない。
それがわからんのなら首を突っ込むな馬鹿。
読解力のないクセにわかったような講釈立てるな
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