新宿西口バス放火事件

09/09/08
新宿駅西口バス放火事件


【事件概要】
勤め帰りのOLや、ナイターを見た親子ら30人が、西口のバスターミナルの京王帝都バス、バスに乗車して発車するのを待っている間の出来事だった。

中年の男が火のついた新聞紙と4リットルのガソリンが入ったバケツを後部座席に向かって投げ込んだ。

火はまたたく間に車内に広がり、乗客が逃げ惑う惨状となった。

後部座席に座っていたため、まともにガソリンをかぶった3人は全身火だるまになり座席に座ったまま焼死。


【犯人について】
母親は若いころに台風で崩れた屋根の下敷きとなり死亡。

定職を持たないアル中の父親に育てられる。

父親の無理解のため、小学校5年生で学校には通わなくなるが、甲斐甲斐しくとび職や農業の手伝いなどをし、その後建設作業員として全国を転々とする。

結婚をし子供を持つが、妻が酒と男にだらしがなく離婚。施設に預けることになった子供には毎月仕送りをしていた。

その後、生活費がなくなり、新宿駅西口で寝泊りするようになる。

ある日、カップ酒を飲み、辛い生活を忘れることのできる唯一の時間を楽しんでいると、頭上から罵声が聞こえてきた。

「邪魔だな、あっちへ行け!」

本来小心でまじめな丸山だったが、カッとなった。

「俺には寝ぐらもなければ、かぞくもいない。どうして俺だけがこんなワリをくうんだ。これまで、なにひとつ悪いことはせず、毎日、まじめに働いてきたのに」

丸山は復讐の相手に、おそらく罵声をあびせたであろう会社帰りの幸せな家庭を持つ"普通の人々"に狙いをつけ、通勤帰りの客など30人が乗りこむバスを選んだ。

新聞紙とガソリンを使い、バスの後部乗降口から、火のついた新聞紙とガソリンを放りこむとバスは瞬く間に炎上した。

結局、この火災で乗客6人が死亡し、22人が重軽傷を負った。

この時、被害者の一人の女性(21歳)が全身に火傷を負って路上を転げまわった。周りには野次馬が何百人もいたが、だれも彼女を助けようとはしなかった。

それどころか、「熱い、熱い」と泣き叫ぶ女性に対し、4人くらいが

「まだ生きてますか?」

と能天気に質問したりしたという。

後部座席で座った姿勢のまま焼死した3人のうち2人は、野球観戦の帰りの父親と子供だと判明。

この子供は大の巨人ファンで、何度もせがんでやっと連れて行ってもらった野球観戦の帰りの惨事だった。

この事件の被害者の1人である杉原美津子さんは全身88%もの火傷を負ったが奇跡的に回復した。

杉原さんは事件後、服役中の丸山と面会しており、裁判では「寛大な刑」を求めて上申している。

このとき丸山が杉原さんに送った手紙がある。

『おてがみありがとうございました。
 55年8月19日はほんとにすまないことおしました いまじぶんはこかいしています 
 バスのおきゃくさんがのっているとはおもえなかった 
 めがはっきりみえなくてほんとにすまないことをしました 
 大ぜいがなくなりおわびのしよがございません 
 ほんとにすまない 丸山博文』(原文ママ)

1986年東京高裁、神田忠治裁判長は精神鑑定の結果を全面的に採用し、丸山に無期懲役を言い渡す。

この時、丸山は無罪と勘違いをして喜び、傍聴席に向かって「ごめんなさい」と土下座した。

1997年10月7日、千葉刑務所で服役をしていた丸山は「眼鏡を忘れた」と作業場に戻り、配管にヴィニール紐を結び首吊り自殺した。

享年55才。

後味の悪いポイントが何箇所もある。この事件の犯人が根っからの悪人ではないという部分がまた何とも言えない。

ちなみにこの話は以下を基にした。

他にも昭和史に残る色々な犯罪を載せてるが、ほぼ100パーセント後味が悪い。
http://yabusaka.moo.jp/nishiguchi.htm





引用元:http://5ch.net/