【戦争経験者】じいちゃんとプラモ屋に行った、じ「あ、この戦闘機懐かしい」僕「え、じいちゃんも昔作ってたの?」→じいちゃんの一言で店内が凍りついた… 2018年08月01日 カテゴリ:短編実話 18/01/04じいちゃんとプラモ屋に行った時の話じい「あ、この戦闘機懐かしい」僕「え、じいちゃんも昔作ってたの?」じい「ううん、戦争の時にこれに追いかけられてたんだよ、ははっ」 「短編」カテゴリの最新記事 「実話」カテゴリの最新記事 凍 り つ く 店 内 苦 笑 い す る 自 分 黙 っ て 戸 棚 の 整 理 を 始 め る 店 長引用元:http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1511055111/ <$ArticlePermalink$><$ArticleTitle ESCAPE$> タグ :#短編 「短編」カテゴリの最新記事 「実話」カテゴリの最新記事 コメント コメント一覧 1. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 10:24 別に凍りつくことないやん。 じいちゃんかっけえ。 2. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 10:27 この程度で凍りつくか? ありえん。 3. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 11:10 せめて画像は第二次大戦機にしてくれよ F16がタイムスリップしてたとかのつまんねー創作かと思ったわ 4. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 11:15 いくらなんでもそこはヘルキャットとかの画像にしとけよ 5. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 11:27 「戦闘機」にまともな対地攻撃装備はない。攻撃機だな 6. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 11:27 ツイッターのバズったやつじゃん わざわざスレ立てしてんじゃねぇよカスが 7. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 11:28 歴史の生き証人だね。よくぞ、生きて戻ってきたわ。 8. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 11:54 はっきり言おう。。。 爺さん何歳だと思う?80は超えとるぞ。 孫とプラモ屋行かないぞ。 でも追いかけられたとしたらP51か。売ってるな・・・。 9. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 11:59 嘘松じゃん 孫何歳だよ 10. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 12:07 これ臭いから大嫌い 11. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 12:10 僕おっさんやろ 12. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 12:30 嘘松認定厨ってなんでここにいんの? さむ 13. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 12:34 爺ちゃんと一緒に艦これやってる提督かも知れぬ・・・ 14. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 12:38 この話が嘘臭いのは置いといて80超えてるから孫とプラモ屋いかないと断言できる理由って何かな? 子供できるの遅かったりしたらあってもおかしくはないだろ 15. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 12:39 ※5 東京空襲に来る爆撃機をエスコートする戦闘機は、地上を機銃掃射してたぞ 逃げる子供を狙って、大人でも一発で真っ二つ(比喩表現でない)になる12.7mm機関銃を上からバラバラ撃ってたんだぞ 石原知事だったけっか、その親族だったか忘れたけど、P-51マスタングの12.7mmで機銃掃射され、あわばミンチになるところだったって言ってた で、その時現れた四式戦闘機疾風がP-51を攻撃して、2機はその場から離れて飛んで行ったってさ 16. ぺそ吉 2018年08月01日 12:40 おじいちゃんが日本本土で襲撃を受けたんならムスタングとかサンダーボルトみたいな 陸軍機よりも、日本近海までやってきていた空母艦載機のヘルキャットかコルセアの 可能性が高く、どちらかと言うとコルセアの可能性大だな。 17. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 12:42 うちの母が小学生のころだな まだ普通に存命だし、庭に焼夷弾が落ちてた話を聞いたことがある そのじいさんが当時小学生で、P-51に銃撃されたってなら普通に信憑性があるわ 18. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 12:44 陸上戦してる兵士にとって一番怖かったのは 上からの掃射や爆撃だもの。 追いかけ回されたって話、無いことないよ。 20. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 12:53 デアゴスティーニか何かを指さして、これ(月光)に乗ってたといった爺様に遭遇したことならある 21. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 12:53 アメリカ軍は民間人に対して積極的に機銃掃射していた 日経新聞の10年くらい前の私の履歴書には 当時中学生だった人のそうした体験談の記述があったと記憶している 22. 2018年08月01日 12:55 このコメントは削除されました。 23. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 12:55 うーそーまーつー 24. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 12:58 ※18 >陸上戦してる兵士にとって一番怖かったのは 「陸上戦」とはどこにも書いてない 飛行機に追いかけられたのは、自分も飛行機に乗ってたからだと思う このツイートが本当かどうかはわからんが、飛行機乗りが一人残らず死んだわけじゃないし、別に変な話ではないと思う 25. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 12:58 ※15 石原本人。友達は殺されたんじゃなかったかな。だから旧日本軍に対しても本人は助けてもらったから大好きだけれど嫌う人がいるのも当然みたいなことも話してた。 大江や大藪とも普通に親友だしね。 26. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 12:58 ※5 ※15の言うとおり、まともな攻撃能力がなかろうが手持ち無沙汰の護衛戦闘機が帰りに機銃掃射してたんだよ。 停泊中の漁船に対してや、機関車を掃射で止めた後、客車に向かって延々と往復掃射してるガンカメラが残ってるぞ。 27. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 13:10 馬鹿な嘘松認定坊 昭和の始めの人は経験しています俺の親父は昭和11年生まれグラマンから機銃掃射されたはと道路歩いているとゼロ戦みたいなのが来たと思ったら道路の両側が土が跳ね上がる「バッバッバッ」と慌てて田んぼの中に飛び込んだと今は故人だが当時小学生とのこと太平洋に面した地域はよくある光景大分もそう宮崎も単発的に飛んできては小学生を狙い打ちにしていたとのこと 28. 本当にあった怖いハマの名無しさん 2018年08月01日 13:14 そりゃ、B29空爆援護の艦載機F6Fだろ。北海道太平洋岸の 釧路にあった旧国鉄の工場は爆撃ではなく、F6F隊の銃撃を 受けた。銃痕のある鉄扉が保存されているし、周辺の民家が 銃撃で粉砕された記録もある。さらに「ガラスのうさぎ」や 「この世界の片隅にでも、ヘルキャットによる市民への 機銃掃射シーンがる。陸軍機であるP51も本土市街地への 機銃掃射を行ったが、艦載できないので、奴らは硫黄島から 飛んで、B29に随伴した。 29. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 13:14 ※8 今の80歳ってバリバリ元気やぞ 会社の隣にある定食屋の爺さんは82歳だけど「今週もゴルフだ!ガハハ!」って笑ってた さっきの話や 30. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 13:15 少し考えれば分かりそうなものだけど。 凍り付く店内が分からない。 逆に追いかけられて助かったんだから、スゲーー!になるだろ。 31. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 13:16 ※26 お前の子供何歳よ? 32. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 13:26 ※5 今時じゃあるまいし、対地攻撃なんぞ爆弾か機銃の2択 そして攻撃機という分類もなければ戦闘機だって機銃掃射は普通によくやる 実際西欧で対地攻撃を主に担当してたのはP-47などの戦闘機が多い(地上目標である建築物や乗り物は爆撃する) 襲撃機にしても攻撃方法は同じだしな 33. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 13:27 最近の話とは限らない。投稿者が祖父とプラモ屋に行ったのは60年前かもしれん。 34. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 13:32 真剣に、凍りついた意味がわからん。 歴史をミスリードさせたい意図があるのかも、と思ったけど・・・わからんw 35. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 13:32 投稿者は凍りついたと感じたことだけが事実でしょ まわりは何とも思ってなかったり、内心すごいと思ってても表情変えない場合もある 特に凍りついたと言う表現から周囲は黙ってたんだから、感じ方次第だろ 36. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 13:33 ※29 じいさんはお店に気を使って明るく振舞ってただけなのに、店の人が昔の嫌な記憶を思い出させて申し訳ない、と思ってたとしたら、「僕」には店内が凍り付いたように見えてたのかもね 37. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 13:43 飛行機乗りじゃないでしょ、普通は追いかけてたと言うだろ ※23はあスペか、陸戦なら怖いのは航空機支援の銃撃という話、じいちゃんのとは別。 子供の頃に追いかけられてたならそうだろ、大戦時二十歳でも90行くぞ 特攻隊とかもう年齢やら練度無視でも18ぐらいでは? パイロットとして追いかけられて生き残れる なんて少ない。 小学〜中学生で地上掃射された体験だろ。 プラモ屋で車ゆびさして、こいつに跳ねられて家族死んだわ、なんて言われたら凍りつくわ。 38. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 13:48 うーん、これは嘘松w 39. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 13:50 じじい「我ニ追イツクグラマン無シ」 40. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 13:56 ※15 機銃掃射に遭った体験談を聞いた人、結構いるんだな 自分は大正一桁生まれの祖母から聞いた 畑で農作業していた近所の女性が機銃掃射に遭って亡くなったと 岩手の山奥の話で工場のような狙われる施設もない場所、しかも相手は民間人の女性 要するに虐殺だったんだよな 41. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 13:59 ※33 投稿者本人がその凍りついたをツッコまれておおげさだったと認めてる 42. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 14:02 オットー・カリウス「このプラモデル、俺が乗ってたやつだよ。」 こないだ亡くなったタイガー薬局の店主のお話。 第二次大戦ぐらいの話なら普通にありえるよね。 凍りつくような話じゃないと思うけど。 43. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 14:06 ※36 俺※23だけど、 >飛行機乗りじゃないでしょ、普通は追いかけてたと言うだろ それはわからんだろ、当事者じゃないと。爺さんの方が不利な立場だったのかもしれんし。 >※23はあスペか、陸戦なら怖いのは航空機支援の銃撃という話、じいちゃんのとは別。 誰も陸戦の話なんかしてないのに、例え話なんだろうけど、急に陸戦の話が出てくるのが違和感がある気がしてる。 地上を逃げ惑う民間人や軍人が飛行機に追いかけられたと言っているのかもしれないが、元のツイートに何の情報もないのが分かりにくい。 そもそも、爺さんは戦闘員だったのか、それとも民間人(子ども)だったのかさえわからない。 44. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 14:08 近所の爺さんも子供の頃に 「グラマンが機銃をバリバリバリ撃ちながら追いかけてきた」って言ってた。 第2次大戦末期の日常風景だったんじゃない? 45. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 14:23 樺太でもソ連軍の機銃掃射がよくあって、82歳になるうちの父も友達と校庭で遊んでたら機銃掃射で狙われたって言っていたな。 疎開先に移動する人たちを乗せた機関車もやられて全滅。父はその機関車に乗る予定だったけど、乗れずに次の機関車に乗ったから攻撃を免れて助かった。 駅に着いたら死体だらけで、次の攻撃が来る前にその死体の上を必死で逃げたことは今でも忘れられないと言っていたわ。 46. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 15:09 古いスレのパクリだからしょうが無いよ。 年代があわないのは。 47. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 16:15 80歳の祖父が40前後で3~4番目の子供を産んで その子が30歳ぐらいで子供を産んでたら孫は10歳 あり得るんじゃない 48. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 16:24 機銃掃射の話は、大橋 巨泉もしてたって聞いたことある。 通りすぎたあとの米軍機に、友達と「バーカバーカw」とか叫んでたら、わざわざUターンして来て機銃掃射されたとか。 脚色された話かどうかは分からんが、大橋 巨泉はわりとこの話をいろんな人にしてたらしく、 「あいつらは確実に人ゴロしを楽しんでた」とか「だから俺はアメリカが平和なんて言うのは信じない」とか言ってたそう。 49. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 16:32 ベトナムでもイラクでも民間人に機銃掃射してるんだから そら二次対戦の日本もやられてるわなぁ 50. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 18:29 今ならカミングアウトしても?だから多分結構昔の話というだけでしょ。 昭和の微妙な時期なら空気が凍ってもおかしくない ※21 昔はわりと敵国での民間攻撃は珍しくないよ。ドイツもロシアもやってた。 ベトナム戦あたりでメディアの発達でバレるからあんまりやらなくなっただけ。バレなきゃ今でもやってる。 ※48 バレなきゃいいだけだしな。 ベトナムもイラクも便衣兵だらけで民間人の区別つきにくかったしな。 51. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 21:29 そう… ってなる話やな 52. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 21:50 Get Some!! 53. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 21:54 自分のキャパ越えは全部「嘘松」な奴は生きて行けるのか? 人間なんて何も解らねーで生まれて、何も解らねーで死ぬのがほぼほぼだぞ。 54. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月01日 21:59 アフガンあたりに出兵してたのかな? 55. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月02日 16:10 嘘松認定バカは、アメリカ軍機が明らかに学校のグラウンドにいる、明らかな学校の生徒を機銃掃射しているフィルム映像を 見た事が無いんだろ。 無知って、生きてて楽しいだろwww 嘘松パトロールを一生してろよ。嘘松!嘘松!嘘松www 56. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月02日 21:11 ※54 禿同 本土に多く飛んできた戦闘機P51ムスタング 機銃だけでなく対地攻撃用のロケット弾も搭載してたからな 地上で動く物は全てが攻撃目標で特に列車はよく狙われた 昭和20年にもなると迎撃する日本の戦闘機もほとんど無くやりたい放題 ※5や嘘松厨は己の無知を悟って欲しい 57. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月02日 21:58 第二次世界大戦とはいってないからセーフ 59. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月03日 15:54 別に成人した孫とおじいちゃんがプラモ一緒に見てても何もおかしくないと思うが 孫がじいちゃんに買ってもらうわけじゃなく、じいちゃん本人がボケ防止で始めたいとかかもしれないじゃん 60. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月03日 16:51 ※14 せやな うちのおじいちゃんもよく俺をプラモ屋とか駄菓子屋に連れて行ってくれたらしい 俺、小さすぎて覚えてないけど、当時働いていた店員さんに小学生くらいになってから聞かされた 61. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月03日 18:06 年齢で嘘松認定してるやつら多いけど別にありえない話じゃないだろ うちのじーさんは1936年生まれで82歳 港町の生まれだったからこの話のように大戦中に戦闘機に追っかけられた経験がある(機銃掃射されたそうだ) 同居してる長男が40過ぎて結婚して47の時にやっと子どもができた 今はじーさんが8歳の孫つれて近所の模型屋に行ったりしてる 62. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月03日 18:24 ※欄に彩雲乗りがいるなw それにしても嘘松厨が無知すぎて… 当時は空襲ついでの機銃掃射なんていろいろな所でされてたべ 特に鉄道はよく狙われてた 有名なのは八王子の湯の花トンネルとか鶴見線の国道駅とか 63. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月03日 19:47 うちのお爺さんやお婆さんもそんな話してたぞ。そんな街中でもないのにちょくちょく戦闘機が撃ってきたって言ってたくらいだし、経験した人は多いはず。 64. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月04日 12:21 いや、そうじゃなくて、こいつが普段自称してる年齢と祖父の年齢が、どう考えても辻褄合わなかったんじゃなかったっけ? それで嘘松認定されたんだよ、たしか 65. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月04日 12:44 ※62 だからそれがアホの証明なんだよ。 戦前から戦後って子供の死亡率高いから今とは比べ物にならないくらい兄弟多いの当たり前だし、終戦の半年前に生まれたうちの親父も6人兄弟の5番目で一番上の姉とは18歳離れてるんだぜ? 山本五十六も6男で父親が56歳の時の子だろ? そんなの別に珍しくない時代だったんだよ。 それを考慮に入れてない時点でどうなの? 66. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月05日 00:18 悲しいな中東やアフリカじゃ今もこの爺さんみたいな目にあってる人達が大勢いるんだぜ 軍民問わず しかも空襲だけじゃなく地上戦でも😢 67. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月05日 05:47 じゃあ聞きまーす。 80過ぎのじいさんとプラモ屋行ったことがある人ー? ・・・だからウソ松なんだよ。20年前なら信じた。 あと、戦争の悲劇性を語っている人はスレ違いですから。だれもなかったとは言ってませんから。 68. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月05日 11:19 凍りつかないだろ。むしろ「へぇ、すげー」ぐらいの空気 69. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月05日 11:26 こういう嘘松ってみっともない 70. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月05日 22:21 落差よね。子供がカッコいい♪とプラモデルワクワク見てるときに、何の役割のものだったか超現実的に思い起こさせるゾッとする体験談をなるべくライトに言った爺。 71. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月06日 02:33 凍りついたって発想が幼稚 普通は興味もたれるよね こういう嘘はもう飽きた 72. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月06日 15:58 書き込んだのは2018でも模型屋に行ったのはずっと昔ってこともあるよな 日米貿易摩擦・ジャパンバッシングが激しいころなら凍りつくってのもあるだろう もしくは終戦記念日のころだったとか 73. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月07日 04:21 68に同意 あと、自分なら気軽に「かっこいい 」とは言えないな。 戦争の悲惨さや恐怖を逃げ惑うしかなかった一般市民=自分の立場で考えたから。場が凍りついたと(主が思った)のもわかる。爺さんがどの立場だったのかわからないから、パイロットとして戦ったとか聞いたら「かっこいい」と言えるのかも。 74. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月07日 15:21 子供「嘘松!」 75. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月08日 14:26 今80過ぎなら当時子供だったろうからやはり機銃掃射かな。 うちの母も小樽でグラマンに面白半分に射ちかけられたそうです。 そのグラマンは射ち落とされてパイロットは大通りに晒し者にされてたとか。 76. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月08日 18:29 おふくろ(1919年生)は機銃掃射に狙われて田んぼに飛び込んで助かったって言ってる(存命) 77. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月09日 08:14 ※39 岩手県内陸部でも飛行場狙いで結構来てた、釜石への艦砲射撃に先んじての周辺地域の航空制圧のついでだと思われる。 78. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月10日 15:43 うちの庭の草刈りに来てもらってるシルバー人材センターのじいちゃん、 3人来たけど一人1台、車で来た。 年寄りだから〜と言うからお年を聞いたら「83歳」 先週の事だよ。 元気な人は元気。 あの人なら、孫でもひ孫でもプラモ屋につれて行きそうだ。 79. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月13日 14:48 だからなんだよ 80. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月13日 15:02 ※65 この話が本当か知らんが… つい最近、同居している84のじーちゃんと35のワイで模型屋に行ったぞ。 じーちゃん免許を返納してるから足替わりだけどな。 ついでに言うならワイの5歳の娘も行ったから曾孫も一緒だったな。 81. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月13日 22:34 松が年齢の事だと考えてる人も多いが、松書いてる人間の年齢によっては、追っかけられたのほうだってこともありうるから世の中恐いよ。 なんつうか、太平洋戦争≒第二次大戦≒日本と米の戦争、ってのがぴんときてない人間が存在してるんだよな。自分が今アラフィフなんだけど、思えば日本史の授業っていっつも明治くらいまでえらい詳細にやって、そこから大戦終わる当たりまで時間が足りないっつって駆け足で済まされたんだよ。で、戦後はまた普通に戻る。だから、興味ない人間は、大戦の辺りの事はろくろく知識が無い。 戦争ってものが、本気で文字の上での知識っつうかデータにすぎないんだよね。日本の、自分の先祖とか身内に起こった事なんだけど、他人事というか映像や記録の中にだけあったこと扱いと言うか。 本当に運よく、身内や親戚に戦争で亡くなった人やら大怪我した人やらがいないのか、逆に親御さんたちが何も語らずに来たのかは知らないけど。うちなんて、田舎の父方の本家の方の墓所、周囲がみんな同じ名字だけど、墓誌の日付見ると凄いよ。どこのお墓も、あの辺の日付がたくさん並んでてな。働き手いなくなって、絶えちゃったらしい家のもちらほらあるし。 82. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月14日 17:00 ※79 俺は75年生まれだけど、子供のころ山に遊びに行くと、防空壕の跡が普通にあったな。 昭和50年代にはまだ戦争の遺跡がけっこう残ってたよ。米軍基地には昭和20年代に建てられた住宅が残ってるのもフェンス越しに見えたし。 83. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月14日 22:10 昨日今日の出来事だった、ならともかく そういえばあんなことあったなと思い出して投稿したケースを、嘘松いってるやつは考えつきもしないのか。 まあ出来事を時系列の観点から推測できないヤツはいるからなあ。 84. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月15日 11:08 忘れられてる気がするが、ウォーホークとワイルドキャットも終戦まで現役で、主に地上支援しとったんじゃよ…… ともあれ、爺さんのお歳にもよるが、機銃掃射してきた戦闘機(本土ならたぶん艦載機かマスタング)に追い回されたっていうことでいいのでは? 85. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月15日 21:44 機銃掃射は機体を軽くするために機銃弾を減らすという理由もあった、と何かで見た気がする。 86. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月17日 01:56 俺は親父九番目の子供で母親も後妻の子供で俺自身も両親が40歳近くになってから 産まれたから別に80すぎた爺ちゃんが孫と買い物してても違和感ないな 実際幼稚園通ってた時に既に爺ちゃん達八十半ばだったし なんなら今俺31歳だけど伯父さん特攻隊帰りで従兄もう年金貰ってるしな 87. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月18日 17:50 爺さんパイロットで空で追いかけられたと理解したが・・・ 88. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月18日 22:34 じいさんの年齢から嘘松としている人がチラホラ見えるけど、ただ単に昔の思い出話をしている だけでは? ”じいちゃんとプラモ屋に行った時の話” この文面からもそれっぽいし、誰も今現在の話とは 言ってないじゃないか。 それともこの文書にはどこか別にオリジナルがあって、ここに掲載されているのは 書き換えられたモノだったとか? 89. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月19日 14:49 戦闘機じゃ無く爆撃機か攻撃機に乗っていたのかも知れないよ。 後、偵察機や哨戒機、輸送機とか。 又、訓練生で赤とんぼに乗っていたとか。 90. 本当にあった怖い名無しさん 2018年08月21日 15:29 この話が平成何年かによって嘘末決定するね。 でも、世の中ってのは普通の地方都市に元旧日本軍人や元自衛官とか、ベトナム経験ある元米軍パイロットが普通に暮らしていたりしてw隣の町内に一時期住んでたとかマジ仰天www 91. 本当にあった怖い名無しさん 2018年10月03日 09:53 うちの祖母は8歳のときに終戦だったけど、終戦間際にアメリカ軍の飛行機が飛んできて急いで防空壕に逃げ込んだって話をしてた。 そのときはそもそも誰も打たれなかったらしいけど、 兵士でなくて一般市民でも 戦場でなくて平穏な日本国内の町でも アメリカ軍に狙われてたのは事実だよ。 それこそ昔からある橋や工場だと機銃掃射で撃ち抜かれた大穴が残ってる場所もあるしね。 92. 本当にあった怖い名無しさん 2018年12月08日 07:07 レシプロ機で特攻寸前だった90の祖父(存命)がいるがグラマンで爆弾落とされたって言ってるし祖母(故人)も飛行場事務でマシンガン掃射されてる。ガキの頃普通にこの祖父にプラモ屋に連れていって貰ってるし嘘松もなにも単なる事実だろ。嘘だっていってる奴は自分の浅学恥じろ。というか恐らく同じような年の奴が投稿しと思うが俺がガキの時代は個人経営のこじんまりしたオモチャ屋はまだあったし顔見知りの近しい人間だから店内が凍りつくって大袈裟な表現じゃない。言葉の重みが違う。戦争知らない子供達という葛藤の意味すらわからないガキばかりになったという皮肉。百年たつと忘れて戦争始める理由。今度は滅ぶが コメントする コメントフォーム 名前 コメント 記事の評価 リセット リセット 顔 星 情報を記憶 コメントを投稿する
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じいちゃんかっけえ。
F16がタイムスリップしてたとかのつまんねー創作かと思ったわ
わざわざスレ立てしてんじゃねぇよカスが
爺さん何歳だと思う?80は超えとるぞ。
孫とプラモ屋行かないぞ。
でも追いかけられたとしたらP51か。売ってるな・・・。
さむ
子供できるの遅かったりしたらあってもおかしくはないだろ
東京空襲に来る爆撃機をエスコートする戦闘機は、地上を機銃掃射してたぞ
逃げる子供を狙って、大人でも一発で真っ二つ(比喩表現でない)になる12.7mm機関銃を上からバラバラ撃ってたんだぞ
石原知事だったけっか、その親族だったか忘れたけど、P-51マスタングの12.7mmで機銃掃射され、あわばミンチになるところだったって言ってた
で、その時現れた四式戦闘機疾風がP-51を攻撃して、2機はその場から離れて飛んで行ったってさ
陸軍機よりも、日本近海までやってきていた空母艦載機のヘルキャットかコルセアの
可能性が高く、どちらかと言うとコルセアの可能性大だな。
まだ普通に存命だし、庭に焼夷弾が落ちてた話を聞いたことがある
そのじいさんが当時小学生で、P-51に銃撃されたってなら普通に信憑性があるわ
上からの掃射や爆撃だもの。
追いかけ回されたって話、無いことないよ。
日経新聞の10年くらい前の私の履歴書には
当時中学生だった人のそうした体験談の記述があったと記憶している
>陸上戦してる兵士にとって一番怖かったのは
「陸上戦」とはどこにも書いてない
飛行機に追いかけられたのは、自分も飛行機に乗ってたからだと思う
このツイートが本当かどうかはわからんが、飛行機乗りが一人残らず死んだわけじゃないし、別に変な話ではないと思う
大江や大藪とも普通に親友だしね。
※15の言うとおり、まともな攻撃能力がなかろうが手持ち無沙汰の護衛戦闘機が帰りに機銃掃射してたんだよ。
停泊中の漁船に対してや、機関車を掃射で止めた後、客車に向かって延々と往復掃射してるガンカメラが残ってるぞ。
昭和の始めの人は経験しています俺の親父は昭和11年生まれグラマンから機銃掃射されたはと道路歩いているとゼロ戦みたいなのが来たと思ったら道路の両側が土が跳ね上がる「バッバッバッ」と慌てて田んぼの中に飛び込んだと今は故人だが当時小学生とのこと太平洋に面した地域はよくある光景大分もそう宮崎も単発的に飛んできては小学生を狙い打ちにしていたとのこと
釧路にあった旧国鉄の工場は爆撃ではなく、F6F隊の銃撃を
受けた。銃痕のある鉄扉が保存されているし、周辺の民家が
銃撃で粉砕された記録もある。さらに「ガラスのうさぎ」や
「この世界の片隅にでも、ヘルキャットによる市民への
機銃掃射シーンがる。陸軍機であるP51も本土市街地への
機銃掃射を行ったが、艦載できないので、奴らは硫黄島から
飛んで、B29に随伴した。
今の80歳ってバリバリ元気やぞ
会社の隣にある定食屋の爺さんは82歳だけど「今週もゴルフだ!ガハハ!」って笑ってた
さっきの話や
凍り付く店内が分からない。
逆に追いかけられて助かったんだから、スゲーー!になるだろ。
お前の子供何歳よ?
今時じゃあるまいし、対地攻撃なんぞ爆弾か機銃の2択
そして攻撃機という分類もなければ戦闘機だって機銃掃射は普通によくやる
実際西欧で対地攻撃を主に担当してたのはP-47などの戦闘機が多い(地上目標である建築物や乗り物は爆撃する)
襲撃機にしても攻撃方法は同じだしな
歴史をミスリードさせたい意図があるのかも、と思ったけど・・・わからんw
まわりは何とも思ってなかったり、内心すごいと思ってても表情変えない場合もある
特に凍りついたと言う表現から周囲は黙ってたんだから、感じ方次第だろ
じいさんはお店に気を使って明るく振舞ってただけなのに、店の人が昔の嫌な記憶を思い出させて申し訳ない、と思ってたとしたら、「僕」には店内が凍り付いたように見えてたのかもね
※23はあスペか、陸戦なら怖いのは航空機支援の銃撃という話、じいちゃんのとは別。
子供の頃に追いかけられてたならそうだろ、大戦時二十歳でも90行くぞ
特攻隊とかもう年齢やら練度無視でも18ぐらいでは? パイロットとして追いかけられて生き残れる
なんて少ない。
小学〜中学生で地上掃射された体験だろ。
プラモ屋で車ゆびさして、こいつに跳ねられて家族死んだわ、なんて言われたら凍りつくわ。
機銃掃射に遭った体験談を聞いた人、結構いるんだな
自分は大正一桁生まれの祖母から聞いた
畑で農作業していた近所の女性が機銃掃射に遭って亡くなったと
岩手の山奥の話で工場のような狙われる施設もない場所、しかも相手は民間人の女性
要するに虐殺だったんだよな
投稿者本人がその凍りついたをツッコまれておおげさだったと認めてる
こないだ亡くなったタイガー薬局の店主のお話。
第二次大戦ぐらいの話なら普通にありえるよね。
凍りつくような話じゃないと思うけど。
俺※23だけど、
>飛行機乗りじゃないでしょ、普通は追いかけてたと言うだろ
それはわからんだろ、当事者じゃないと。爺さんの方が不利な立場だったのかもしれんし。
>※23はあスペか、陸戦なら怖いのは航空機支援の銃撃という話、じいちゃんのとは別。
誰も陸戦の話なんかしてないのに、例え話なんだろうけど、急に陸戦の話が出てくるのが違和感がある気がしてる。
地上を逃げ惑う民間人や軍人が飛行機に追いかけられたと言っているのかもしれないが、元のツイートに何の情報もないのが分かりにくい。
そもそも、爺さんは戦闘員だったのか、それとも民間人(子ども)だったのかさえわからない。
「グラマンが機銃をバリバリバリ撃ちながら追いかけてきた」って言ってた。
第2次大戦末期の日常風景だったんじゃない?
疎開先に移動する人たちを乗せた機関車もやられて全滅。父はその機関車に乗る予定だったけど、乗れずに次の機関車に乗ったから攻撃を免れて助かった。
駅に着いたら死体だらけで、次の攻撃が来る前にその死体の上を必死で逃げたことは今でも忘れられないと言っていたわ。
年代があわないのは。
その子が30歳ぐらいで子供を産んでたら孫は10歳
あり得るんじゃない
通りすぎたあとの米軍機に、友達と「バーカバーカw」とか叫んでたら、わざわざUターンして来て機銃掃射されたとか。
脚色された話かどうかは分からんが、大橋 巨泉はわりとこの話をいろんな人にしてたらしく、
「あいつらは確実に人ゴロしを楽しんでた」とか「だから俺はアメリカが平和なんて言うのは信じない」とか言ってたそう。
そら二次対戦の日本もやられてるわなぁ
昭和の微妙な時期なら空気が凍ってもおかしくない
※21
昔はわりと敵国での民間攻撃は珍しくないよ。ドイツもロシアもやってた。
ベトナム戦あたりでメディアの発達でバレるからあんまりやらなくなっただけ。バレなきゃ今でもやってる。
※48
バレなきゃいいだけだしな。
ベトナムもイラクも便衣兵だらけで民間人の区別つきにくかったしな。
ってなる話やな
人間なんて何も解らねーで生まれて、何も解らねーで死ぬのがほぼほぼだぞ。
見た事が無いんだろ。
無知って、生きてて楽しいだろwww
嘘松パトロールを一生してろよ。嘘松!嘘松!嘘松www
禿同
本土に多く飛んできた戦闘機P51ムスタング
機銃だけでなく対地攻撃用のロケット弾も搭載してたからな
地上で動く物は全てが攻撃目標で特に列車はよく狙われた
昭和20年にもなると迎撃する日本の戦闘機もほとんど無くやりたい放題
※5や嘘松厨は己の無知を悟って欲しい
孫がじいちゃんに買ってもらうわけじゃなく、じいちゃん本人がボケ防止で始めたいとかかもしれないじゃん
せやな
うちのおじいちゃんもよく俺をプラモ屋とか駄菓子屋に連れて行ってくれたらしい
俺、小さすぎて覚えてないけど、当時働いていた店員さんに小学生くらいになってから聞かされた
うちのじーさんは1936年生まれで82歳
港町の生まれだったからこの話のように大戦中に戦闘機に追っかけられた経験がある(機銃掃射されたそうだ)
同居してる長男が40過ぎて結婚して47の時にやっと子どもができた
今はじーさんが8歳の孫つれて近所の模型屋に行ったりしてる
それにしても嘘松厨が無知すぎて…
当時は空襲ついでの機銃掃射なんていろいろな所でされてたべ
特に鉄道はよく狙われてた
有名なのは八王子の湯の花トンネルとか鶴見線の国道駅とか
それで嘘松認定されたんだよ、たしか
だからそれがアホの証明なんだよ。
戦前から戦後って子供の死亡率高いから今とは比べ物にならないくらい兄弟多いの当たり前だし、終戦の半年前に生まれたうちの親父も6人兄弟の5番目で一番上の姉とは18歳離れてるんだぜ?
山本五十六も6男で父親が56歳の時の子だろ?
そんなの別に珍しくない時代だったんだよ。
それを考慮に入れてない時点でどうなの?
80過ぎのじいさんとプラモ屋行ったことがある人ー?
・・・だからウソ松なんだよ。20年前なら信じた。
あと、戦争の悲劇性を語っている人はスレ違いですから。だれもなかったとは言ってませんから。
普通は興味もたれるよね
こういう嘘はもう飽きた
日米貿易摩擦・ジャパンバッシングが激しいころなら凍りつくってのもあるだろう
もしくは終戦記念日のころだったとか
あと、自分なら気軽に「かっこいい 」とは言えないな。
戦争の悲惨さや恐怖を逃げ惑うしかなかった一般市民=自分の立場で考えたから。場が凍りついたと(主が思った)のもわかる。爺さんがどの立場だったのかわからないから、パイロットとして戦ったとか聞いたら「かっこいい」と言えるのかも。
うちの母も小樽でグラマンに面白半分に射ちかけられたそうです。
そのグラマンは射ち落とされてパイロットは大通りに晒し者にされてたとか。
岩手県内陸部でも飛行場狙いで結構来てた、釜石への艦砲射撃に先んじての周辺地域の航空制圧のついでだと思われる。
3人来たけど一人1台、車で来た。
年寄りだから〜と言うからお年を聞いたら「83歳」
先週の事だよ。
元気な人は元気。
あの人なら、孫でもひ孫でもプラモ屋につれて行きそうだ。
この話が本当か知らんが…
つい最近、同居している84のじーちゃんと35のワイで模型屋に行ったぞ。
じーちゃん免許を返納してるから足替わりだけどな。
ついでに言うならワイの5歳の娘も行ったから曾孫も一緒だったな。
なんつうか、太平洋戦争≒第二次大戦≒日本と米の戦争、ってのがぴんときてない人間が存在してるんだよな。自分が今アラフィフなんだけど、思えば日本史の授業っていっつも明治くらいまでえらい詳細にやって、そこから大戦終わる当たりまで時間が足りないっつって駆け足で済まされたんだよ。で、戦後はまた普通に戻る。だから、興味ない人間は、大戦の辺りの事はろくろく知識が無い。
戦争ってものが、本気で文字の上での知識っつうかデータにすぎないんだよね。日本の、自分の先祖とか身内に起こった事なんだけど、他人事というか映像や記録の中にだけあったこと扱いと言うか。
本当に運よく、身内や親戚に戦争で亡くなった人やら大怪我した人やらがいないのか、逆に親御さんたちが何も語らずに来たのかは知らないけど。うちなんて、田舎の父方の本家の方の墓所、周囲がみんな同じ名字だけど、墓誌の日付見ると凄いよ。どこのお墓も、あの辺の日付がたくさん並んでてな。働き手いなくなって、絶えちゃったらしい家のもちらほらあるし。
昭和50年代にはまだ戦争の遺跡がけっこう残ってたよ。米軍基地には昭和20年代に建てられた住宅が残ってるのもフェンス越しに見えたし。
そういえばあんなことあったなと思い出して投稿したケースを、嘘松いってるやつは考えつきもしないのか。
まあ出来事を時系列の観点から推測できないヤツはいるからなあ。
ともあれ、爺さんのお歳にもよるが、機銃掃射してきた戦闘機(本土ならたぶん艦載機かマスタング)に追い回されたっていうことでいいのでは?
産まれたから別に80すぎた爺ちゃんが孫と買い物してても違和感ないな
実際幼稚園通ってた時に既に爺ちゃん達八十半ばだったし
なんなら今俺31歳だけど伯父さん特攻隊帰りで従兄もう年金貰ってるしな
だけでは?
”じいちゃんとプラモ屋に行った時の話” この文面からもそれっぽいし、誰も今現在の話とは
言ってないじゃないか。
それともこの文書にはどこか別にオリジナルがあって、ここに掲載されているのは
書き換えられたモノだったとか?
後、偵察機や哨戒機、輸送機とか。
又、訓練生で赤とんぼに乗っていたとか。
でも、世の中ってのは普通の地方都市に元旧日本軍人や元自衛官とか、ベトナム経験ある元米軍パイロットが普通に暮らしていたりしてw隣の町内に一時期住んでたとかマジ仰天www
そのときはそもそも誰も打たれなかったらしいけど、
兵士でなくて一般市民でも
戦場でなくて平穏な日本国内の町でも
アメリカ軍に狙われてたのは事実だよ。
それこそ昔からある橋や工場だと機銃掃射で撃ち抜かれた大穴が残ってる場所もあるしね。
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