12/09/30
俺の大叔父、祖父の弟の話なんだが、興味深かったから話したい。80年~90年ぐらい昔の話かな?
祖父の家は農家で、大叔父は五男で末弟だった。
聞く話によると、農家の五男あたりは穀潰し(ごくつぶし)でろくな扱いを受けていなかったと言ってた。
ただ大叔父は他の兄弟と比べて格段に頭が良く、当時の小学校の先生からも褒められて、憲兵(けんぺい)学校?みたいな所を受験したらしい。
家族は受かるはずもないと思っていたらしいが、なんと合格。憲兵となった。
当時にしては破格の給料だったが、大叔父は極わずかな金しか実家に贈らなかったと。
祖父は
「あんだけ邪険にしていたからしょうがない」
と言っていた。
んで、大叔父の話は第二次世界大戦の時かな。詳しいことは話したがらなかったが、色々とひどい尋問をしたことがあると言っていた。
当時、憲兵は『鬼』と呼ばれて相当嫌われていたらしい。
唯一大叔父が酔っている時に教えてくれた尋問は、『絶対に眠らせない』というもの。対象を椅子に縛り付けて常にビンタし続ける、というのだった。
いつも優しい大叔父からは到底考えられなかった。だけどとても悲しそうに話していたのは覚えている。
そしてある日、反逆者?の銃殺に携わることになったらしい。(詳しくは教えてくれなかった)
さすがに人を殺すのには抵抗があって、泣きながら上官に
「自分はできません」
と許しを請うたと言っていた。
当時上官の命令の逆らのうのはありえないらしく、顔の形が変わるまでぶん殴られたと。
実際鼻の形はちょっとおかしかったし、顔に傷がたくさんあった。
結局大叔父は腑抜けの農民としてさげすまれ、処刑は大叔父の友達が務めることとなった。
その友達は大叔父と同じく貧民出身で仲が良かったが、家族の期待を一身に受けて、家族の稼ぎ頭となっている人だったと。当然断れるはずもなく、処刑をこなした。
だけど、人を殺したことで少しずつおかしくなっていったと言ってた。
戦争末期、大叔父は雑用ばかりの役たたずとして扱われ、その友達は狂人とされていたんだと。
戦争が終わった後、大叔父は裁判所に勤め始めたんだと。(憲兵は法律の知識が豊富)
俺は
「公職追放例は?」
と聞いたが、
「そんなもん金でなんとでもなる」
って言ってた。
そんなこんなで裕福に過ごしていたら、ある日例の友達が死んだのを知ったと。ドブ板長屋で死んでいたらしい。
大叔父も色々と負い目を感じていたらしく、多額の香典を包んだとは言っていた。だけど葬式の日から例の友達が夢に出てくる。
「お前のせいで」
と、ずーっと恨み言を言ったあと消えるんだと。いくら許しを請うても毎日出てくる。
そのうち大叔父は利き腕の右腕を病んだ。いくら治療しても治らず、結局右腕は腐れ落ちて、二の腕から切断した。
けど、その切った腕の骨を持って例の友達の墓を参ると、夢には出てこなくなったと。
これはずっと昔の元旦に、片腕のない大叔父に聞いた話。
もしかしたら作り話かもしれない。だけど、大叔父が憲兵だったのも、片腕がないのも事実ではある。
大叔父は
「あいつは優しかったから片腕で許してくれたんやろ」
と言っている。
真実はわからないけど、面白い話だからここに書きました。
引用元:http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1434970204/
コメント
コメント一覧
そもそもスパイや利敵行為をした一般市民が尋問後銃殺されるのは当たり前
戦争法規でも認められているし
それは第二次大戦の日本に限らず交戦国なら例外なくどこでもやっている
軍人である以上、上官命令には逆らえない。それは国家をも裏切る行為になるからだ。人間としてやりたくない、はわかるが当時は目下戦争中。理不尽な命令でも道理が通る時代。友人は軍人として当たり前の事をしたまでだ。そこには08小隊のシローアマダのような綺麗事など通用しない。
公職追放令で殆どの人は追放されちゃったんだろうけど、何にでも抜け道はあるもんだね。
戦中に前線に行っていた人達何人かに、現地での話を聞かせてくれって言っていたんだけど、やはり自分が非人道的な行いをしてた人はあまり話したがらない。
ただ当時は敵軍(無論スパイも)は人に非ず、上官命令は絶対で言い方をかえれば、軍部は国防の為なら何をやっても許されるって免罪符が与えらてた状態だったので、よっぽど自分の倫理観がしっかりしていて、尚且つ殴られても嫌と言える根性が無いと流されるよね。
戦闘状態であり殺らなきゃ殺られるって状況と違って、味方に殴られて無理やり人殺しをさせられるってのは精神病むなぁ。
一時期、日本のマスコミでも強制収容所の実態について報道されていたけど、いつの間にか途絶えてしまったな。
どういった連中が官憲に捕まっていたのか興味深いけど、共産主義者や反戦活動家などだろうな。
モヤモヤする。
語彙力が無いんだね…。
そもそも憲兵の職務は? 特高の職務は?
日本ではそれらをごっちゃにしてとにかくどちらか批判したい方に拷問や銃殺刑をさせている。
それに、そもそも日本では銃殺刑は陸海軍法での軍人に対する処刑方法だ。
誰でも彼でも銃殺刑にしていた訳ではない。
この話も適当なでっち上げ話、その典型だ。
つうか多分これ良心の呵責的なもんだろうね
4とか5とか、本当に人間なのか!?色々考えさせられるわ。
金でどうにかなるというか公職追放はその後GHQ参謀第二部の反共政策で復職した人間も多いから、金なんて関係ないし嘘くさい話
時期的にこの手の話をまとめたのか知らないが、政治歴史の問題を内包したような内容はやめたほうがよい
これはどうかな? と言って、私はミリオタでも何でもないので知識も乏しいのですが、幼年学校か何かと混同していませんか?
憲兵になるには、まず兵士として入営し、兵役の期限が過ぎても残って軍務に服するなど、ある程度の軍隊経験を積んでしかも優れた能力を持つものが憲兵学校(私の記憶違いでなければ、中野学校に隣接していたように思う)に入校を許されるのではなかったでしょうか? 当然、選ばれたエリートですから、大叔父殿のような「反逆者」など有り得ません。
私の方が間違っているならスマソですが、歴史が絡んだ話はよほど注意して書かないとねつ造の烙印を押されるのみです。
投稿者のような「戦争を知らない世代」が捏造するのではなく、戦争を経験した当事者が話を盛る場合が多数あるんだよ
実際に最前線へ送られた人ならむしろ体験をオブラートに包んで話す。自身にとっても辛い経験だから
ところがほとんどの軍属は戦地に送られる事もなく国内(満州や中国も含む)で後方作業を行ってたんだ
そういう人が戦後になって戦争体験を聞かれた時に「毎日、戦地へ送る荷物を梱包してたよ」とは言い辛い
で、話を盛るわけさ
自分の父親や祖父からそんな話を聞かされたら嘘だとは思わない。
戦後は徹底的な追求を受け相当な苦労を強いらましたが、実際に身柄確保にあたるのは米軍ではなく日本の警察や役所ですから、終戦直後の混乱期においては情実やカネが介入する余地はあったのではないでしょうか。
憲兵をテーマにした長編小説に帚木蓬生氏の「逃亡」という作品があります。この作家の常として綿密な取材に基づいて書かれていますので興味がある方は一読されてはいかがでしょうか。
アルカイーダならぬ、アルかニダ
そうアル
そうニダ
日本だけが酷いみたいに錯覚するひともいるけれど。当時はどこもそんなもん。
イギリスの第二次大戦時が舞台のドラマをみたけれど、
出征拒否した男性が逮捕され拷問死していた。
食べ物もろくになくても「戦争反対」なんて恐くて言えない状況だった模様。
ソヴィエトは労働者の祖国で日米は労働者の敵ね
またですか
超マゾの俺にはご褒美だわ。殴られながら至福の表情で寝れる
でも、終生、亡くなるまで、その仕事内容は黙して語らずでした。
心の闇を抱えていたんでしょう。
恨むならこの祖父ではなく命令を下した上官かもっと上の戦犯と呼ばれる偉い人じゃない?
ちょっとお門違いな気がする。
コメントする