07/03/30
それは私が小学一年生の時ですから、昭和44年の出来事になります。
私の家はその年の12月、武蔵野の三鷹市から神奈川の某地に引っ越しました。
その数日前です、私は一人の人間を殺しているのかもしれない。
かも、というのは、それが夢だか現実なのかがよくわからない、何しろ三十年以上も昔のことですから。
ただ、いつの頃からか私の頭に巣喰っている、夢にしてはやけに生々しい、けれど虫喰いのように所々に穴のあいた私の記憶。
どなたかきいていただけましょうか。
当時、私は下連雀(しもれんじゃく)という所に住んでいました。
私の住まう社宅を出て子供の足で5分程で、通称水道道路という所に出ます。出たところを右に曲がりしばらく行くと、やがて左に折れる道があります。
現今ではあの辺りもずいぶんと変わったでしょうが、当時は舗装されている箇所もあれば、そうでない所もあり、両脇にはススキをはじめ、いろんな雑草が生えていました。
車も通らず真っすぐな、自転車の練習にはうってつけの道でした。近くには、あの太宰治で有名な玉川上水があるそうです。
で、その左に折れる道をまたしばらく行くと、そこに着くのです。
木造のアパートと、同じく木造平屋の小さな家がいくつか固まっている土地でした。
今、私の年になってみると、なんとなくわかります、そこは周りの人達があまり行かない、またその土地の人達もあまりよその人とは関わりをもたない、そんな土地だったのでしょう。
昼間でもあまり人通りのない、ひっそりとして、なんとなく淋しい所でした。そんな所から当時の私の友達は私達の学校に通っていました。
私とて別にそれ程裕福な家ではありませんでしたが、銀行員の父をもつ私から見ると、その友達は少しみすぼらしくみえました。
仮に彼をAとさせて下さい。
私達がこっそりと入ったアパート、当時のそれですから、階段は表にはなく、建物の中にありまして、まず入り口で履き物を脱ぎ、裸足で暗い階段を登りますと、やはり暗い廊下がありまして、右側に共同の流し場、左に五つ程の部屋が並んでいました。
一番奥の突き当たりには何があったか覚えてません、ほんとの行き止まりか、セッチンか、いえ便所は階段を上がったすぐ右側にあったような気もします。
裸電球しかない昼でも暗い廊下でした。
そのアパートを囲む塀にもたれかかって、私とAは炎に見とれておりました。
徳用の大きなマッチ箱を家からクスね、ぎっしりと詰まったマッチをなくなるまでスっていました。
シュッとすったマッチが、最初の一瞬青い炎になり、やがてオレンジ色になり軸をのぼっていく、自分の指の先までくるまで私達はその様に見とれていました。
途中、少し背中の曲がったお婆さんが通りかかり、そんな私達をかなり厳しくいさめてアパートに入って行きました。
けれども、私達はマッチの軸には飽きたらず、そこいらに落ちている新聞紙やら、ススキの穂、細い木片やらに火を移していき、何やら恍惚感に浸っていたのです。
気が付いたときには陽も落ちかけていました。
私達は、今日はオモシロかったね、また明日学校で、とそんなふうにそれぞれの家に帰って行きました。
その日の夜、風呂にも入って、布団に入りちょうどウトウトしだしたころ、あの不安をかき立てるような、人の神経を逆なでするようなサイレンと鐘を鳴らしながら何台もの消防車が走り去る音を聞きました。
母もカーテンを開け窓の外を見やりました。
あれ、あっちの空が真っ赤だよ。
翌朝、私が学校に行く用意をしていると、父と母が話しているのが聞こえました。昨日の火事はやっぱり〇〇だったんだ、逃げ遅れたお婆さんが焼け死んだ、と。
おそらく新聞の地方欄にでも載っていたのでしょう。
学校に行くと、Aはいつもの席に座っていました、下を向いて。私が入ってきても下を向いたままでした。
私もAと目をあわせませんでした。
私が引っ越すまでずっと。
それから数日を経ない、私が引っ越す前日、授業の途中、教頭先生がAを呼びに来ました、後ろには学校では今まで見たことがない、背広を着た男の人が立っていました。
私は青くなりました、いよいよ来た、警察が私達を取り調べに来たんだと思いました。私はもう引っ越すこともできない、一生刑務所の牢屋の中で過ごすんだ、と。
恥ずかしいことに、私はその時自分の事しか考えていませんでした。
それきり、その日はAは教室に戻っては来ませんでした。私はそれをいいことに逃げるようにして家に帰りました。
翌日、その日は午前中にクラスで私のためにささやかなお別れの会をしてもらった後、家族とともに引っ越し先に向かう予定でした。
けれどもAはその日も教室に姿を現すことはありませんでした。
その夜、私は新しい木の香りも匂うその家で熱を出し吐きまくりました。引っ越し祝いの寿司もケーキも何もかも吐きました。
Aからも警察からも電話はありませんでした。もっとも当時私の家は呼び出しでしたが。
ともかくも、私はひと月ほどおびえて過ごした後、いつしかその事は忘れていったのです。
三鷹の図書館で過去の新聞記事を探せば本当のことがわかるのでしょうが、そういう事は私は不得手だし、
地図を見てもすっかりあの時とは変わってしまっているようで、見ても自分がどの辺りに住んでいたのかもわからない、そして恐い。
図々しいようですし、またスレ違いのような気もするのですが、
このスレ、荒らされているといってもかなり多くの方が見ているようなので、あの辺りに住む人、または過去のデータベースを探せる方、12月の20日前後の事です。
ほんとうにそんな事件があったのか、誰か情報いただけませんでしょうか。
引用元:https://hobby9.5ch.net/test/read.cgi/occult/1173951023/
コメント
コメント一覧
昭和44年に?
12月だったら、日が傾くのは4時過ぎくらいでしょ!そのから帰宅して夕ご飯と入浴を済まして
小1が寝る時間だと、8時~9時だろうから?4時間程過ぎてるから関係ないんじゃ無いのかな?
気になるならスレより、三鷹市役所に☎すれば良いだけじゃないの。
それと、Aの家が貧乏で「みすぼらしい」情報は要らないんじゃないの。
俺はもう少し後の生まれだけど、あったぞ割と。
電話を借りに来るご近所さんも結構いたし、投稿者は社宅と書いてるから尚更そうなんじゃないの。
当時の初任給って4万位だと思うけど、電話の権利って7万以上したからな。
妄想じゃない?
この人にそんな過去はないしそんな事件はないしそんな友達もいなかったし引越しもしてないし
そもそももう何十年も部屋から出てないとかじゃない?
呼び出しって正確には交換手を通す昔の電話だから
昔は社宅アパートには公衆電話もしくは大家の黒電話が置いてあった共同でその電話を使う着信だけ
勝手に取ってはいけない大家が電話受ける「何号室の〇〇さんお願いします」と
交換手じゃない交換手になると昭和初期大正にさかのぼる
で報告者は小学生のころでしたらそんな感じになるがAが気になる罪を被ったかもしれない
普通に呼出し電話の事でないの?
【呼(び)出し電話】
電話を持っていない人が、電話のある近所の家などに取り次いでもらって使う電話。
https://kotobank.jp/word/%E5%91%BC%E5%87%BA%E3%81%97%E9%9B%BB%E8%A9%B1-654840
自分は44年生まれのおっさんですが、小学校低学年(50年代)の頃友人にいましたね。
どの辺がキ.チガイっぽいのだろう?
まぁ報告者を腐したいだけなんだろうなぁ
話をそのまま読めば、A君がアパートに放火し、それで学校に刑事がやって来たと受け取れますが、ならばA君は投稿者殿と別れた後、夜中にアパートに火を付けたのでしょうか?
だが、投稿者殿は「私は一人の人間を殺しているのかもしれない」と書き、自分たちの火遊びが原因だと主張しています。それならなぜA君だけが引っ張られて行ったのか? 投稿者殿たちがアパートへの侵入や火遊びを誰かに目撃されていたのなら、当然投稿者殿にも嫌疑がかかるはずです。
たまたまA君だけが顔を見られたのだとしても、刑事に尋問されればA君は当然投稿者殿といっしょにいた事も白状し、いずれにせよ、遅かれ早かれ投稿者殿も引っ張られたはずでしょう。「私は青くなりました(中略)警察が私達を取り調べに来たんだと思いました」と投稿者殿は書いていますが、それが正常な判断です。なぜそうならなかったのか? 放火ではなく火遊びによる事故であったとしても、警察による調べは免れないでしょう。
さらに、クラスの仲間が犯罪行為で挙げられたなら、同級生たちの話題にならないはずがありません。教諭たちが秘密にしていたとしても、悪い情報は子供の間でさえ必ずすぐに漏れるものです。
長くなったのでこれで終わりにしますが、「ほんとうにそんな事件があったのか、誰か情報いただけませんでしょうか」と言う投稿者殿には失礼ですが、私には、この話は事実とは思えません。
火を放ったのは貴方自身なのか?
ひと月も怯えるようなことを忘れるか?
やっぱ夢か妄想だったんじゃね
なんで毎回矛盾があったら報告者はウソというスタンスなんだろう
もっと登場人物の気持ちになって考えたらその矛盾も通るだろう
多分真相は※16あたり。
うすうすそう思いながらも、もしかしたらと火種が残っていたのではと、同じ立場で考えたら思わないか?
で皆のコメ欄のように「イヤイヤ時間が経ちすぎてる」と否定してもらいたいんだろ。
警察からの取り調べがないのも、事件は友人の放火で、自分の浅はかな行動のせいで友達である報告者に迷惑がかかると火遊びの件は言わなかったのでは?自分がこの友人の立場でも(放火の場合)絶対言わないな。なんていうか後ろめたさからの最低限のプライド、みたいな。子どもの頃なら尚更。
「あなたも共犯だとすると矛盾がある、だからあなたは関係ない」こう言って貰いたいのでは?
もし投稿者が擦ったマッチの残り火が原因なら出火も消防車も遅すぎる。いくら人が寄り付かない土地でも木造の建物が燃えてたら遠くからなら普通に分かる。
おそらくAが注意された腹いせに老婆の部屋に放火した、それかもっとマッチの火を見たくて1人でやってたら何かに燃え移って婆さん逃げ遅れて焼死したとかでしょ。
そもそもAに警察が来て投稿者には来ないってことは投稿者はそもそも放火犯の候補にも入ってないし最初からAに断定されてる。
フェイクいれてないなら投稿者は直接の関係はない。
でもAと叱られた、Aがもっと火に興味を持った原因の一端は投稿者にある
水道道路とか、玉川上水の近くはよくわかります。もともと、上、下連雀は昔、神田の連雀町の人達が大きな火災で逃げてきた歴史があると大人から聞いていたので、ことさら火遊びは注意されてました。
なんとなく、木造平屋のような家も密集してあったことも記憶してるので
事件のことまではわかりませんが、当時の情景としては浮かびます。。ので、全てが嘘だとは思いません。
トラウマ等にならない為の自己防衛として、
自ら(?)記憶喪失になる事もあるみたいだぞ。
両親やご近所さんが言うには、
俺自身も子供の頃に川で溺れて死にかけたらしいが、
前後の記憶は一切ない。
統合失調症の人の文みたいな感じで。
直前まで一緒に遊んでたからトラウマになった、と。
火事の話を覚えてた地元民のレスをきっかけに、書き込み主が東京の図書館に赴き、当該日の新聞を見つけ、火事が実際にあったことを確認している。
何故覚えてるかと言うと、俺もとても似た記憶を持っていたから。
俺は後日スレにそれを書き込み、住人に促され調べたところ、事実じゃない事が分かった。
http://kowahana.com/330
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