
私の父は躁鬱を持った人でした。
私が結婚すると決まって、両家が初めての顔合わせの料亭での食事会の時、なにか楽しい話をしなければいけないと気張ってしまったのでしょう。
私は父が50の時の子供ですので、父が大学生(今の大学という物はありません)の頃学生だったことと年齢ぎりぎりで赤紙は貰わずにはすみましたが、もちろん食べ物には大変困る時代だったようです。
その学生時代の話をし始めて、だんだん興奮して躁になってしまったのでしょう。笑いながら
「あまりにもお腹がすいたので罠を張り猫を捕まえてそれを食べた」
と言ったのです。
そんな話は聞いた事もありませんでしたし、あまりにも不謹慎なのでびっくりし、そしてあちらのご両親になんと思われるかとめまいがしました。
父は、はっ!としたようにしばらく黙り手をブルブル震わせながら
「む、娘を宜しく御願いいたします。御願いいたします」
と言って席を外しました。
母も私も
「お父さんたら変な冗談を言って…申し訳ありません」
と謝り続けました。
父がなかなか戻ってきません。心配になり婚約者と共に探しに行きました。
父はネクタイで首を吊っていました。
本当ならば結婚など出来る状況ではありませんでしたが、お腹の中に子供がいたので式もあげず、籍を入れ子供も産みましたが、子供が父そっくりの顔をした男の子で、私がどうしてもその子を愛せません。
331:09/09/14(月)00:18:27ID:OfYQHzrM0
これはなかなか辛い経験だな…。orz
お父さんとしても娘の為に盛り上げたかったんだろうけど、病気だったんだからね…。
娘を持つ父親の立場からするとお父さんの気持ちもわからなくはないけど、発作的にそこまでやってしまうほど自分を追い詰めてしまったのか…。
やりきれん…。しかし息子さんの件は確かに繋がってないような?
334:09/09/14(月)00:23:24ID:1SHicZlS0
怖いというよりは悲惨な話ですね。
父親が亡くなる前にすでにお腹の中に子供がいたのなら、父親に似てるだけで生まれ変わりというわけではないのだから、その子供を愛せないというのはひどい話です。
343:09/09/14(月)00:40:47ID:icj0FPYU0
例えば子供が父親の隠していたエ〇本などを見つけてしまった時、女の子なら嫌悪感を覚えるでしょう、普通は。
父はずっと躁鬱で気分がいい時は大体は優しく愉快な人でした。
たまに暴走してよけいな冗談や軽口をたたくのが嫌でしたけど、うってかわり鬱になるとこちらが話しかけても返事すらせずご飯も食べなくなりました。
1日のうちに何回も躁と鬱を繰り返す事もあれば2日は躁で3日は鬱とか、変則的に症状が代わりこちらはとても苦労しました。
息子は4つになりましたが年が大きくなるたび父の顔・性格?に似てきます。
最初はなにか病気・障害を疑い何度か大きい病院をまわりましたが、これと言ったある意味あきらめや納得できる病名はつきませんでした。
話していてもご飯を食べてる時もお風呂でも寝かしつける時でも楽しそうに笑いながらお友達のことを話したりしていたのに突然不機嫌になり、箸で私を突いてきたり石鹸をわざとお風呂に落としたり、読んで聞かせていた話を「『不』幸せに暮らしましたとさ」となればどうして可愛いと思えるのでしょか?
いいえ 私は子供も手放しませんよ。
父を疎ましく思い出す事もありますがそれでも私は父を愛しているんですから。
348:09/09/14(月)00:52:33ID:Wyl/Ba0K0
>>343
ネタじゃないんならどっかそういう子ども愛せないスレあるみたいだからそっち行けよ
あと、ネタじゃないんならお前自身、どっか精神に異常きたしてるだろ。言ってることに矛盾ありありだ
自分のことも考えろ
349:09/09/14(月)00:53:09ID:mG8Gi1c20
>>343
>いいえ 私は子供も手放しませんよ。
父を疎ましく思い出す事もありますがそれでも私は父を愛しているんですから。
ここ、ひっかかるんだけどな。この文章のつなげ方に違和感を感じる。創作とかそういうことを言いたいんじゃなくて。
引用元:https://anchorage.5ch.net/test/read.cgi/occult/1252694576/
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…んー、どこの国の話なんでしょう
終戦前の状況では、大学の修業年齢は18歳以上が決まりで召集令状の下限年齢は17歳に引き下げられてる、学生免除も廃止されてる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%88%B6%E5%BA%A6%E3%81%AE%E5%A4%89%E9%81%B7
当時は中々複雑だな 状況がうちと似てたので確認してみた(昭和4年生まれの父の40の頃のガキの俺)
大学というのは学歴の事を指していて、多分青年師範学校あたりなのでは?
いまの高校生の年齢で入る。
各大学の前身を調べると青年師範学校であるのをよく見る。
父は青年師範学校卒業後に教師になっていたので高卒の学歴で教師も無いだろうと確認した。
当時の大学は今の学歴でいうと大学院にあたるのでは?
青年師範学校の件を書いた者ですが、自分が昭和4年生まれの父(16歳で終戦)の40の頃のガキで現在49ですので、10歳若い方で8年以上前の書き込みですから、当時30歳前後でしょうかね。やんちゃざかりの子がお腹にいる頃の体験談なので20代半ばの話。
タイムスケール的には話の辻褄はあいますね。
只自分も報告者の話には「どっか精神に異常きたしてるだろ。言ってることに矛盾ありありだ」のレスに、
念 と感じてしまいました。
確かに終戦頃の制度がコロコロ変わるから複雑なんだけど。
8帝大(台湾含む)その他の大学と記載があるから、大学は大学として機能してたと思う。
当時の高等教育機関で一番若い15歳からは入れるので青年師範学校あたりだろうと書きましたが他も16歳から入れるのが結構あるので特定は出来ないですね。
高等教育機関のリンクを読んでいくと 旧制高等学校のwikiには
「教育内容は現在の大学教養課程に相当する。なお、現在の高等学校と混同されることがあるが、現在の高等学校は(後期)中等教育機関であり、旧制の学制においては5年制の旧制中等教育学校(その代表格が旧制中学校)の後半がそれに相当する。」
報告者のいう大学は当時の高等教育機関、ギリ赤紙は貰わずとありますから、父親が16歳の頃の話で間違いないようです。
あと当時の最高学府である大学は現代の国立総合大学に相当する様です。訂正いたします。
こんな事態ぐらい普通に予想できるだろ
わしは旧帝大出身やけど、日本では七帝大。あとソウルと台北があって九帝国大学があった。
こんなにジェットコースター真っ逆さまってほど落ち込むんなら、とっくに亡くなっていそう
精神病は遺伝がすべてではないが、遺伝するのは確実
投稿者も子も発症に注意して幸せになってほしい
当時は今から想像するように教育体制が全国で統一されてるわけじゃなかったんだよ
複数のシステムが乱立していて、青年師範学校に再編された学校もあれば旧来のままの学校もあった
…らしい。俺も以前その手の資料を読んだだけなので
躁鬱だって知ってたのに悪口しか言わないのもなかなかポイントが高い
>息子が父親に似てきた。
息子は近○相○で出来た子???
「遺伝子」って御存知?
>いいえ 私は子供も手放しませんよ。
>父を疎ましく思い出す事もありますがそれでも私は父を愛しているんですから。
全体的に状況描写が客観的過ぎるのと、この小説風な文章が創作臭い。
小説風な文章には同意。だが自分に酔ってる人が書く文章だよ。
今は「お前の仲間食べてごめんな」って家の猫を可愛がってる。
言い方の問題かな、テレビの芸能人みたいに空気読みながらやらないと確かに変人だ。
でも躁鬱って数ヶ月おきになるものだと思ってたから意外。
ただのテンション変な老害でいいじゃん。
精神病も発達障害も遺伝するからな。
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